第24回 「第17回聴覚障害者文化活動フェステバル」に参加して

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名古屋の風景。テレビ塔にも行きました。

平成22年3月5日~6日、名古屋に行ってきました。
一昨年、ナシの会主催の「新春特別講演会」でお世話になりました全難聴理事の荒川清美さんの紹介で、第17回聴覚障害者文化活動フェステバルで字幕付きのミュージカルを見るためです。

 5日午後1時過ぎに、自宅を出発、4時に大阪にいる娘と合流、そして名古屋へ・・・、の予定が途中で渋滞に合い一時間遅れの5時に娘と合流。

 愛車に取り付けたオンボロナビが、渋滞を知らせてくれますが、道路情報では事故の知らせもなく、原因も分からないままやがて渋滞へつかまって行きます。渋滞12km・・・、下の一般道へ迂回、再び高速道路へ、順調に進むかと思ったのもつかの間、また渋滞へ。
仕方なく流れに任せていると、遂に渋滞の原因を発見!!
おじさんたちが道路の側溝を清掃していました!!恨めしく横目で見ながら、おじさん達を通過した途端、車は一気に急加速、流れは順調です。
「掃除は夜にして欲しい!!」管理局にメールでクレームしたろかいな・・・。
天王寺駅で娘を乗せ、一路名古屋へ。高速道路は天理から一般道25号線へと変わり、伊賀市を通って名古屋へ。

何年も前、子供達が小さな時に、伊賀忍者屋敷に連れて行った事を思い出します。当時のオンボロ車は、時速100kmで上り坂にさしかかると、頂上付近ではアクセル全開でも70km以下に減速し、大型トラックにも追い抜かれていた記憶が蘇ります。

 午後7時に名古屋のホテルに到着、チェックインを済ませた後、夕食へと出かけます。事前に名物のお店をチェック済み(家内が)で、いざ「味噌カツ」のお店へ!!

実はこの名古屋行きの前「遠いから行きたくな~い!!」とだだをこねていると「行って好きなだけお酒を飲んでも良いよ」の悪魔の囁きについ「行こう、行こう!!」となった経緯がありまして・・・。

味噌カツと同時にビールを注文、これが合うわ合うわ!!是非皆さんも名古屋に行かれた折には、味噌カツとビールはお薦めです。

食事を終えて、娘のショッピングにも付き合わされ・・・、やっと居酒屋へ。(ここも事前チェックの居酒屋)名物の手羽先、どて焼等を食べながら、ホッピーを注文。
(ホッピー:元祖ノンアルコールビールみたいな飲物で、焼酎を割って飲む)

その後一端ホテルに帰り、再び一人で夜の街へと出掛けて行きました・・・(そこでの出来事は個人的に!)

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味噌煮込みうどんです、粉っぽくて硬かったです。

6日ホテルで朝食、チェックアウトを済ませて、名古屋テレビ塔へ。小雨の為視界最高ではありませんでしたが、それなりに楽しめました。

 少し早い昼食(ここもチェックのお店)「味噌煮込みうどん」を食べに行きました。

残念!美味しいうどんを食べ慣れている徳島の人には、 「伊勢うどん」同様に名古屋のうどんも高い評価はできませんでした・・・しかも値段高すぎ!(コーチン入り¥1750)

昼食後いよいよミュージカルを見に、名古屋ドーム隣の名古屋市東文化小劇場へ(小松島のミリカホール程度)

劇団アルクシアター WISH BREATH 「世界は希望を呼吸している」 と言う歌とダンスと手話で構成されたミュージカルです。
内容は、「命」と「希望」をテーマとしたハートウォーミングストーリー。
病により死を迎えようとしている老女が、悩みを持つ高校生の孫に語る様々な話がオムニバスの形で展開してゆきます。
希望に包まれて生まれた命は、自らの希望を抱き、それは叶ったり大半は潰えたり。そして人生のラストシーンは華やかか、孤独で残酷なものなのか・・・。優しい音楽と繊細な手話、躍動的なダンスに彩られた夢と現実のストーリーでした。

 字幕は、舞台向かって右上のスクリーン(縦長)に映し出されていきます。
重要な役どころの俳優さんは、実際の聾者の方です。

涙あり、笑いありと全体的に良く完成された舞台に仕上がっていました。聴覚障害者を含めた練習には、色々と難しい配慮もあったと思いますが、実に素晴らしい仕上がりでした。

娘と父親の秘話、父親の深い愛情の真相がひも解かれていくシーンでは、思わず涙がこぼれます・・・、隣で座る娘に目をやると・・・寝ていました(T_T)

たくさんの聴覚に障害がある方が見に来ていましたが、手話や字幕による情報保障がなされていた為、充分に内容は伝わったと思います。

ところどころ、字幕を出すタイミングがずれていた所もありましたが、それもご愛嬌と言うことで・・・。

字幕は、俳優にとってプレッシャーと言うことが分かりました(~_~;)  二箇所ほど俳優さんが台詞を間違えたのですが、本来なら誰も気付かない流れと思いますが、先に字幕を出されているので、観客全員が「あっ!間違えてる!!」  恐るべし字幕付き!

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特技「悪魔の囁き」、好物「とんかつ」

ミュージカルが終わり、駐車場から車を出庫。一日止め放題¥300!なんと良心的な事か・・・。係員さんがいたので、障害者手帳を見せると

「はい、ありがとうございました」・・・、まぁなんと無料に!! 名古屋はええとこじゃ!(実は書けませんがもっとええ事があったのです)

 夕方4時、帰宅の途につきました。まずは大阪に娘を送って行き6時に到着。

「夕食は何にする?」  娘が「とんかつ」 (~_~;)  二日連続とんかつでした・・・。

午後10時、無事我家へ到着、明日の夕食がとんかつで無い事を祈りつつ全行程を終了しました。

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第23回 要約筆記者に思う

妻と2人で海外へ旅行してきました。海外と言うには余りにも近い国、韓国への旅行です。考えてみれば二人きりで旅行に出かけるのは、遙か昔の新婚旅行以来のような気がします。

当時はまだ妻も聞こえには問題が無く、特に不自由な事はありませんでしたが、今回の2人の旅行は、難聴者同伴と言えば良いのか、素人要約筆記者同伴の旅行と表現すれば良いのか、当時の状況とは少し違った内容の二人旅となりました。

どうせ外国で、言葉は通じないのだから、聞こえる聞こえないは差ほど大きな問題ではないだろうと私は考えていました。

韓国に着き、日本語の上手なガイドさんが同行してくれるので、私は特に大きな不安も無く旅行が出来るのだろうと感じていました。妻も私が一緒にいるので、特に大きな不安を感じてはいなかったと思います。

 しかし、その後二人に大きな異変が起きる事となったのです。(ジャ、ジャ、ジャ、ジャァ~ン・・・火曜サスペンスドラマ風)

 終日ガイドさんが同行をしてくれ、名所旧跡、有名観光地、韓流ブームとなった映画やドラマの撮影現場、ナイトクルージング、更に念の入れようとも思える、人気ドラマのロケに使われたホテルでの宿泊・・・・、初めての韓国旅行にしては盛り沢山の内容でした。

 その行程を進む中で、何度となく「今何言ったん?」と聞こえなかった事への質問があります。これはもちろん当然の事で、日ごろの日常生活の中でも良くある事なので問題はありません。

 筆談器を駆使して、下手な要約筆記で対応します。「そうなの、分かった分かった」特に問題もなく、次へと時間が流れていきます。

 もともと仕事の関係もあり、私達は長時間会話をする事はありません。本当に今回の旅行で24時間ずっと一緒にいた事は、新婚一週間以来の珍事です。

珍事には発見があるのですねぇ~。

「今何言ったん?」攻撃に法則があることを発見したのです。「今の事は聞き返して来るだろうなぁ~」と思って、何て要約しようか?と考えていても、聞き返してこない!・・・・なんで?・・あっつ!聞き返してきた!・・・・。

 大発見、「ちょっと聞こえて、大事そうな所」だけ聞き返してきて、「大事だけど聞こえていない所」は聞き返してこない事を知りました。
 聞こえていないのだから、聞き返してこれないのは当然と言えば当然ですが。

 私は今までに二十数回中国へ行っています。最初はもちろん全然中国語が分からず、苦労しました。中国人は人懐っこい性格の人が多く、次から次へと話かけてくれます。全く分からない中国語で言われてもなすすべがありません。・・・・ただ笑っているだけです。

 うなずいて笑ったら、益々話をしてくれます。空しく苦しい思いだけが残りました。
そこで一念発起、中国語の勉強に取り組み、その後は段々と状況好転(超来超好)、会話ができるようになり、楽しい旅行を送れるようになりました。

 しかし、難聴者の方は一念発起しても聞こえるようにはなりません。どんだけ頑張ってみても聞こえるようにはならないのです。

誰が難聴者の聞こえをカバーしてくれるのでしょうか、妻の聞こえをカバーしてくれるのでしょうか、それもグレードの高いカバーを!

難聴者の方は、思い込みの理解及び推測の理解が非常に多いと思います。「一を聞いて十を知る」という言葉がありますが、難聴者は「一を聞いて十を推測」と言った感じがします。

「何も言わなくってもあなたの言いたい事は解る」「以心伝心」「俺の目を見ろ何も言うな!」・・恋愛機関の戯言です!!(笑)

現実の難聴者の方の憶測は正解率50%位のような気もします。(もちろん難聴の程度によりますが)

そこで、難聴者の皆さんに正しい情報を伝える役割として、要約筆記者の方々がいます。今後彼ら(彼女ら)に期待される部分は、非常に大きなウエイトを占めているように思います。また、そうでなければ難聴者に優しい社会が来ないと考えます。

 要約筆記者の皆さんは、自分が聞こえた内容を要約して情報保障してくれます。これは当然の事です。

 しかし、その要約をした内容を見る難聴者の見方に、差異があることを発見したのです。
ちょうど私が、中国語で質問をした時、中国人が私の勉強した通りの答えを返してくれたら聞き取れるのに、違うパターンで返事を返されると分かりづらいのと同じです。

 難聴者が、十分聞き取れなかった部分を要約筆記して頂き、見て理解するのと、全く聞き取れなかったのを要約筆記者が要約した物をみるのでは、理解するスピードに大きな差異が生まれてくると思うのです。
時にはスクロールの為、理解しないうちに終わってしまう事も無いとは限りません。

 難聴者は一人ひとりみんな聞こえに差異があり、同じ事例でも要約(表現)の方法により、理解するスピードと情報量が違います。
 そして難聴者と要約筆記者がお互いに理解し合えた時には、文字を超えた要約のツールが存在する事をぜひ理解して頂きたいと思います。

「今回の旅行で、スーパー要約筆記を見に付けました」と掲示板に書き込みしましたが、よくよく考えてみればお互いの表現パターンの理解だったのでしょうか・・・?

「ひと」と書けば、「人がいっぱいね」・・・、「り」と書けば「料理が美味しい」・・・、「にし」と書けば「西の夕焼けが綺麗ね」・・・、「て」と書けば「手をつないで」!!

 これが、お互いの理解が出来たスーパー要約筆記でした。
やはりお互いに理解する事が、最も大切な事だと感じさせられた旅でした。

んっ?・・・・「ひと」 「り」 「にし」 「て」・・・・・そんなあほなぁ(泣)   Fe

 

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第18回 第15回全国中途失聴者・難聴者福祉大会in岡山に参加して

平成20年11月1日・2日、全国中途失聴者・難聴者福祉大会に参加してきました。この大会は、前身の全国難聴者福祉大会からこの大会名へと名前が変わってから、第15回目の大会であり、また開催地としても、昭和35年難聴学級生誕の地である岡山県での開催ということもあり、それにふさわしい素晴らしい大会でした。
僕自身も以前から興味がありましたし、いつもお世話になっている香川県難聴協会のメンバーも多数参加されるということで、一緒に楽しく、参加してきました。
また、第1回目のコラムにもありますが、山口県で行われたスポーツ交流会で、全国の難聴者の集まりに初めて参加した時に出会った難聴仲間にも久しぶりの再会を果たし、交流を深めることも目的の一つでした。

【第1日目】
初日は、午後からの開催であったので、お昼前に岡山駅で香川のメンバーと合流して、一緒に食事などしました。香川からは今回、15人?ぐらいで、岡山県へは、近いこともあり、多くのメンバーが参加されていたようでした。
会議では、テーマごとに分科会を設け、各分科会に分かれて、それぞれの難聴者自身が今、興味のある分野の会議に参加しました。
僕の参加したのは、「若者達の未来予想図」と題しての第4分科会でした。夢をかなえるために、聞こえの問題とどう向き合い、どう乗り越えていくかという内容と、若い人の目標の一つである、結婚をテーマに、そこで起りうるさまざまな問題を取り上げて、その解決方法や問題を参加者で話し合っていく内容でした。

【第1日目の夜】
会議終了後は、お待ちかねの交流会でした。僕たちは大会主催の懇親会とは別で、他県の青年部の方から段取りして頂いたホテルで泊まり、そこでの交流会に参加しました。(値段も、お安かったので良かったです。)
30数名の皆さんと、飲みながら、仕事の話とか、恋愛や趣味の話、また協会活動の話などなど、いろんな話を語り合いました。
そこでの交流は久しぶりの友人であったり、新しく知り合った難聴者でもあったりですが、夜遅くまで、楽しく酒を酌み交わすことができ、さまざまな出会いが今回もまた出来ました。
僕は、ちなみに携帯型筆談器COBOなどで書きまくりながら、「ナシの会」の宣伝や報告もしておきました。

【第2日目】
第2日目は、朝9時30分から行われ、メインの会場のブースにはパソコンや携帯電話など難聴関連ITの活用方法や、難聴関連グッズ、補聴器メーカーによる新型補聴器の展示もありました。耳マークの使用実績も掲示されていました。(全難聴のHPにある通りですが)
全体会議では、改めて開会式を行い、昨日の各分科会の報告や、高岡正理事長の基調報告や春山満氏による記念講演も行われ、大会宣言にて幕を閉じました。

【分科会のまとめ】
第1日目の、第4分科会では、ある難聴者の体験談を通して、10年前の自分は聞こえなくて出来なかった、あきらめてしまった問題があったが、10年経った今ではどうか?これからやってみたいことや夢を語ってくれました。また結婚をテーマに、難聴者同士の結婚の場合、相手の両親とのコミュニケーション手段や反対された時、式場での情報保障を披露宴でつけることに対して反対があったら・・・などについて、活発な意見がありました。
両親とのコミュニケーション手段については、実際、猛反対されて、半ば駆け落ち気味に家を出たとの体験もありました。子供もできた今は、もう認めてくれているとのことですが、時間が解決してくれることもあり、あせらずゆっくりと時間をかけて解決に向けて頑張っていければとのアドバイスなどがありました。
式場での情報保障についても、過去に実績のある式場であるとか、事前に打ち合わせを充分にしておくことも重要な要素としてあげられました。
その後、それぞれの参加者から、自分の夢を語りました。
福祉大学に進むので障害者福祉の勉強をしたい・・・、難聴者でつくる介護者の会を作りたい・・・、地元の青年部を復活させたい・・・、などなどです。
その他、各分科会の報告、第1分科会(これからの難聴者(児)教育のあり方)、第2分科会(人工内耳で輝く人生)、第3分科会(世界の難聴者は今)、第5分科会(JDF地域フォーラム)がありました。

【高岡正理事長の基調報告】
1、 日本政府が署名した国連の障害者の権利条約の批准のための検討について(この権利条約の内容をこれからの社会参加や就労支援、政見放送や通信、教育の問題に反映させていくことを要求していること)
2、 地域福祉再編成の中で、難聴者への社会の理解と支援施策の要求
3、 障害者自立支援法の見直しにより、要約筆記者派遣事業の市町村移行に伴う後退と地域格差の中で全ての市町村における事業実施と広域派遣、団体派遣実施と派遣範囲の拡大

【春山満氏の講演】
今の病気になって家族と一緒に歩んで来られたことや、介護ビジネスの会社を立ち上げてから今に至る経緯の話などがありました。
春山さんだからこそ感じることや分かることがあり、それが、今の医療や福祉の矛盾点や不備などに対する訴えとなり、そのことが会社に対する熱意と福祉機器の開発に対する情熱となっていることを聞きました。
今、僕たちが、持っているものや、出来ることは、些細なことであるけれど、手が動き、足で歩き、口で喋れる事、そのことは、実は、幸せなことなのだということを話の中で、改めて認識させられました。
「やがて足が動かなくなり車いすになるのなら、車いすになる前に僕の車いすを押してくれる社員を雇えればいいんだ。やがて手も動かなくなり握力もゼロになるのなら、字が書けなくなる前に僕の手の代わりをしてくれる会社というチームがつくれればいいんだ」と、残っている機能を120パーセント使うことで、必ず生き残れると、信じて生き抜いて来たそうです。
春山さんが、もう首から下は動くことのない体になった今、「もう一度、息子とキャッチボールをしたい・・・」「もう一度、妻をこの手で抱きしめてあげたい・・・」と夢を語っていた時には、多くの方が、涙をこぼして聞き入っていました。
心が強く気持ちが強い、こうだと決めたらそれに向かって突き進む決断力などもあると思いましたが、力強い講演内容は本当に勉強になりました。
「あたり前の幸せの有難さ」について、充分に考えることができました。

【感じたこと】
初めての参加でありましたが、いろいろな面で大変勉強になり、いい刺激にもなりました。
会議の中であったことの10分の1の内容も報告することが出来てはいませんが、その中で、印象に残った言葉や発言です。
・今はPCや携帯電話の普及などにより、わざわざ集まらなくてもよいが、聞こえない悩みは面と向かって話さないと、解決出来ないこと。そして、自分が聞こえないということを認めないのではなくて、自分が聞こえないという運命を受け止めて、協会の活動に参加して欲しいこと。
・現状を変えていくには、行政に何かを変えてもらうという姿勢なのではなく、行政を変えるのは自分達なのだということ。

もっともっと、ありましたが、数多くありすぎて・・・
でも、結局は、自分達が、障害の受容をしていく課程の中で、いろいろなアイデアやいろいろな方法を教えてもらったりしても、変わるためのキッカケにしかない、変わるのは自分なのだということです。
ただ、それには、人それぞれのスピードもありますし、自分なりのペースもあります。ゆっくりと自分なりのペースを保ちつつ、自分の地域で出来る範囲ではありますが、現状の改善に向けて地道に頑張っていきたいとは思いました。
もし、仮に行き詰まったとしても、自分たちの傍には、あんなに多くの同じ難聴者が、いるのだから、どれほど心強いことか!
今後、頑張っていく為の糧になりました。
岡山県の協会の皆さんをはじめ、この全国大会に携わったすべての皆さんに感謝をしたいと思います。
ありがとうございました。

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第22回 要約筆記を始めて…③

また前回の続きです。長くてごめんなさい。

 要約筆記を始めてみて、分かった事の1つに、
「喋っている人の言葉を聞き漏らさないよう、全神経を集中させて、
そして瞬時に要約し、瞬時に打ち込み、その動作をしながら話を聞きつつ、次の
要約を頭の中でまとめる」
という事がいかに大変か、いかに疲れるか、という事でした。

 要約筆記は主に何人かで、交代をしながら、休憩を入れながらします。
私は最初、「なんでそんな、ちょくちょく休憩を入れるんだろう?」と思ってい
ました。
 というのも私は、何時間メールを打とうが、何時間チャットをしようが、手も目
も全然疲れないからです。
年齢的なものや個人差もあるかもしれませんが、そういえばインターネットが流行しだした頃は、チャットが面白くてたまらなくて、ぶっ続けで12時間も友達とチャットしていた事もあります。それでも手は全然疲れませんでした。

しかし!!しかしですね!!
要約筆記になると、全然話が違ってきますっ!!
なんとなく打つのではなく、「正しく、分かりやすく、速く」を意識しながら打つ要約筆記は、本当に疲れます。

 私の場合、手は疲れないんですが、とにかく全神経を集中して要約して打つとい
うのは、「脳」がものすごく疲れるものです。毎回、終わる時には思わず「ホッ」とします。

 それでも、「こんな私でも人の役に立てる」という大きな嬉しさ。
そして、新人で足を引っ張ってばかりの私を、「入会してくれたおかげで助かってるよ」とおっしゃってくれる、親切なベテランさん達。
この2つが、私を支えてくれています。

 それから私は、耳は健常ですが、実は、「話についていけない事の淋しさ、もどかしさ」がよく分かるんです。

 以前、海外に長期滞在していた事があり、英語圏だったのですが、英語が分からなくて「コミュニケーションの難しさ」を身をもって経験しました。
 今では、日常会話程度はなんとか分かるのですが、それでも、例えばネイティブ同士が早口で何かの話をしている時、ふいに「あなたはどう思う?」と聞かれたりしたら、「えっ…(゜□゜;)(やべぇ…)」となりますし、
TVも十分にはついていけません。ニュースなんて全然ダメです。
十分に分かるのは、子供用番組のみ…。あっ、ニモとか大好きです(笑)

 例えば、みんなでTVを見ていて、みんなが笑っているのに自分だけ分からなくて、
「あーでも自分だけしらけてたら、なんか場の雰囲気を壊すよなぁ…。まぁ適当
に笑っておくか…」と、
分かってないのにヘラヘラと笑って分かってるフリをしてごまかす、なんていうのは日常茶飯事でした。

「ごめん、今なんて言ったの?何が面白かったの?」と気楽に聞ける相手ならいいのですが、大抵の場合、どうしても遠慮してしまうんですよね。
いくら気楽な相手でも、あまりにも質問しすぎると悪いなーって思いますし。
だって、その人がTVを楽しめなくなるから…。

 映画館でも、周りがドッと笑っていても私だけ「しーん」、みたいな…。
あと、誰かと話してて、何度言ってもらってもどうしても分からない時なんか、
「あーもう、なんで分からないの?」と呆れられたり。

このHPのコラムの、「第16回 難聴者の心理について① 」を読ませていただきましたが、
「まさにその通り!!!」と言いたくなるような事が書かれています。
少し抜粋させていただきます。

>相手の「面倒くさい」と思わせる表情や「イライラしている」ような仕草などを察知し、
>聞き返すことに臆病になったり、億劫にもなるのです。

うんうんっ!!!ほんとにそう!!!(>_<)

>自分と相手の二人だけの会話の場合だと、まず、聞き取りやすい状況であることがありますが、

>自分が聞こえていなければ、あるいは分かっていなければ、会話が進みません。なので、
>分が主となり、相手と会話を進めているなかで「エッ?」と聞き返さざるを得ないのですが、
>複数での会話の場合は、そうはしない、そこまではしない心理があります。

分かるっ、すっごい分かるっ!!!(゜□゜)

>そして、最終的には、自分を納得させるのです。
>「雑談程度については、聞こえなくても、差し支えないよな・・・」と。

そうっ!!そうなんですっ!!!本当にその通り!!!
「あ~今この人が話してる内容って、多分どうでもいい事だよな…いっか…テキトーに流しておけば」と、流したりしてしまうんですっ!!!

>これが、仕事の場合だと、そのような姿勢では、業務内容に差し支えるので、
>配慮を求めたり、態度を改めないといけませんし、聞こえるまでというより、
>分かるまで理解するまで、コミュニケーションをきちんと、とらなければなりません。

わあ~ん(T□T)すごい分かる!!!
海外で働いた経験があるのですが、電話なんかだとホントに何度も聞き直したりして、
業務内容に差し支えのないように努力していました。

>人によれば、女性の声質、いわゆる、高音だけが、聞き取りやすいとか、低音高音を問わず、
>全体的にもっと大きく喋ってもらわなければ聞き取りにくい人もいるわけで、
>一概にいかないところが、また難しいところです。

これもすごい分かりますっ!!!
○○さんが話してる事はさっぱり分からないのに、△△さんに同じ事をもう1回繰り返して言ってもらったらなぜか分かる、という事が私もあります。

とまあ、耳の話とは別になってしまいますが、
不自由さ、もどかしさは私はすごく分かるつもりです。
だからこそ、難聴者や中途失聴の人達に、私は1つでも多くの情報をお伝えしたい!と思っています。
そして、1人でも多くの方のお役に立てる事が出来るなら、そんなに嬉しい事はないと思います。

ダラダラと長いコラムですみませんでした。読んでいただいた方、お疲れさまでした。

要約筆記を始めたばかりの仲間の方々、この文章を使って「そぎ落とし」の練習をして下さい!
(笑)

                                           阿波女より

 

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第21回 要約筆記を始めて…②

前回からの続きです。 

 その後、とうとう要約筆記養成講座(初級)が終わり、修了証書ももらいました。

今回の講座では、手書きの練習だけでした。PCと手書きの要約筆記では、与えられる情報の量が全く違います。
手書きは、PCに比べるとどうしても書ける量が少なくなるからです。なので、講習では、
「いかに不必要な所を省くか、どこまで省くか」などを習いました。
「そぎ落とし」の方法はPCでの要約筆記でも、とても役に立っています。
PCは手書きと比べると、たくさん打てるので、より細かい所まで打てますが、やはり「そぎ落とし」の基本的な考え方は同じだからです。

とはいえ、修了式の時、「授業が終わったからって、実際にバリバリ活躍なんて出来るんだろうか…」
という気持ちがありました。他の受講生の方達も同じような事を言っていました。
「習うより慣れろ」との言葉を信じるしかないのかなぁ…と思っていました。 

 講座修了後、早速、何件かの要約筆記派遣のお誘いを受け、1メンバーとして出向きました。
まず最初に派遣された所は、とある大きいホールで、とてつもなく大規模な講演会でした。

 内容も政治がらみの事がほとんどで、難しい言葉もたくさん出てきて、「ウギャー!!絶対無理!!」と心の中で叫びながら、必死でPCの画面を見つめていました。

 簡単な言葉ならサッと打てるのですが、それでも緊張して手がなかなか動かなかったり、
「何!?今なんて言うたん!?○○政策って何!?」と、さっぱり講演の内容について行けず、ベテランさん達にたくさんフォローしていただきました。
ベテランさん達ってほんとにすごい…と思いました。

 司会者の方が丁寧な言葉で長く話した事を、簡潔に分かりやすく要約されているのを見て
「おおー!!すごいっ、そうか、そうやって訳せばいいのかあ」と勉強になりました。
なんとかその日は終わり、「あぁーほんまに私はこんな事やってていいのだろうか。
迷惑かけるだけなんじゃないだろうか」と少し思いました。

 それでも、後片付けをしていた時に、傍聴者の何人かの方達が、
「すごいねー、あんな事が出来るなんて」と言ってくださったりしました。
もちろん、その時も私は心の中で「いえっ、すごいのはこちらのベテランさん達でございますっ。私は違いますっ」などと思っていたのですが、
その時チラッと聞こえたのが、
「話をまとめて文字として表示してくれると、分かりやすいね」という健常者の意見でした。 

なるほど。
そういえば私も、「要約筆記要請講座」で、講師の方が喋っている内容が難しい時、
もしくは人前で話すのが苦手な講師の方の時、スクリーンの方を見て「ふむふむ」と理解していたのを思い出しました。

 要約筆記は、難聴者・中途失聴の方、お年寄りの方達だけでなく、色んな人に役立つものなんだなーと感じました。 

 その後も、私は色々な所へ派遣させてもらい、いつも心に「初心者マーク」を貼って、
毎回緊張しながら要約しています。
あ~あ、「耳マーク」みたいに、「要約筆記者初心者マーク」もあったらいいのに(笑)
「要約筆記者初心者でございますっ。不具合な点がございましたら何卒ご勘弁をっ」みたいな(笑)

 でもやっぱり、要約筆記者として出向く場合は、パソコンの前に座ったら、新人だろうと、自分もプロの意識を持って望まねばいけませんね。

 なぜなら、スクリーンを見ている難聴者の方達にとっては、要約している人がベテランであろうが新人であろうが、関係ないからです。 
今でも、要約筆記の予定の前日はいつも「あーどうしよう、大丈夫かなぁ」と心配になっています。

 でも、所属している団体の方達がほんとに皆さん親切な方ばかりで、こんな私にも優しい言葉をかけてくださっているので、続けられています。
それも、要約筆記を続けていくうちでの、大事な事なのかも…と思います。

「要約筆記を始めて…③」へ続きます。
                                     阿波女

 

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第20回 要約筆記を始めて…①

 皆さん、はじめまして。
私は「要約筆記」の団体に加入しているものです。ここでは「阿波女」と名乗らせていただきます。
 2008年の秋、私は「要約筆記」と出会いました。きっかけは、NPO法人の要約筆記団体に所属している知り合いから、「こんなボランティアをやってるんだけど、あなたもやってみない?」と誘われた事です。
 ボランティア自体には昔から興味はあったのですが、「ヨウヤクヒッキ?何それ?」という感じでした。要約筆記の「ヨ」も聞いた事がなかったのです。
 知人にザッと話を聞いたところ、
「講演など色んな場所へ行き、話している事を自分なりに要約し、手書きやパソコンで難聴者や中途失聴の人達に伝える」という事でした。
知人は、「最近はパソコンが主流になってきているんだけど、パソコンに堪能な人が少ないの。私もタッチタイピングは出来ないし、打つのはすごく遅いし。あなたならタイピングが速いし、向いていると思って」と言っていました。
 それを聞いた時、厚かましくも、瞬時に私は、
「おーっ、そんなのがあるんだ!面白そう!やりたいやりたい!私でも役に立てるんだったら是非やってみたい!」と思いました。
 私はパソコンについての知識は最低限しかありませんが、文章を打つのは昔から大好きで、「速打ち」だけは自信があったからです。
 その後、彼女の所属する団体の、PC要約筆記の様子を何度か見学させてもらいました。
小学校の体育館での講演会、手話講座などなど…。
「こ、これは私には無理かもしれない」というのが素直な感想でした。
だって、講演会で前で喋っている人のスピードは速いし、要約している人の事なんか待ってはくれないし(当たり前ですが)、しかも、なんだかすごく難しい内容の話をしているし、知らない専門用語とかも出てくるし!
そして、なんといっても、「長い話を短く簡単にまとめて要約する」という事の難しさを目の当たりにしたからです。
 涼しい顔をしてタイピングをしていたベテランさん達を見て、私は「ポカーン(゜□゜)」としていました。
「打つスピード」が速いにこしたことはないけれど、それよりも重要な事は、「より分かりやすく、正確に、簡潔にまとめる事」だと分かったんです。 それまで私は、「打つのは速いからなんとかなるだろう」などと、大きな勘違いをしていました。
「ガーン…。打つスピード云々よりも、まとめるセンスの方がよっぽど重要なんだ。これは私には向いていないかもしれない。私は、速く打つしか脳がないのに…。」

 ちょうどその頃、徳島市が開催する「要約筆記養成講座(初級)」が始まるとの事で(しかも無料♪)、知人に「まず、その講座を受けて基礎知識をつけてから、実際に活躍したら?」と言われました。
 毎週2回の講座でした。回によって、内容も講師も違いましたが、実際に難聴者の方や身体に障害を持っておられる方のお話も聞けたり、とても充実した内容の講座でした。
それに、お友達も出来ました♪(^▽^)
 その講座は「OHP・OHCでの手書き要約筆記の養成講座」でした。
毎回、要約筆記での情報保障がついていました。OHP・OHCでの手書きでした。
最初、「なんで要約筆記の養成講座やのに、いちいち要約筆記を付けるん?」と思っていたのですが、途中から、実は受講者の中には難聴者・中途失聴の方もいらっしゃるという事に気付きました。
そう、「難聴者と支援の会」の会員の方々です。
 なぜ分からなかったかというと、中途失聴の方は見た目では全然分からなかったからです。
補聴器をつけていてもよく見ないと分からないし、人工内耳の方だったら、見た目では絶対分かりません。
喋りが堪能な方も多く、「え?ほんまに聞こえが悪いん?」と思った事もありました。
そして授業中、その人達を盗み見したところ、スクリーンを見ながら頷いたりしていました。
「そっか、こんな風にリアルタイムで難聴者の人達は情報を得ているんだ」と感じました。
「要約筆記者を育てるには、難聴者の助け無しにはありえない」という事を実感しました。
同時に、私も、講師の方の話を聞きながら、スクリーンをチラチラと見ていました。
「なるほど~、ああやってリアルタイムで話を短くまとめていくんだ」と思いました。
 しかし、毎回私が思った事は、「こんな難しいこと、私は出来ん!ていうか無理!」でした。
なにをかくそう、私は「ど」が付くほど字が下手で、書くスピードも遅いし、しかも、いただいた教科書もなんだか難しい事がいっぱい書かれているし、「ああ~っ絶対無理っ!(>□<)」と思っていました。
 情報保障として、要約筆記をする事の責任感を考えると、頭の回転が非常~~に遅い私には向いてないんじゃないだろうか…と、不安でいっぱいになりました。
入るなら、知人と同じ団体に、とは思っていたのですが、「やっぱり断ろうかな…」とも考えていました。
 そんな矢先、もう少しで要約筆記養成講座が終わるという頃、「今までは見学だけだったけど、今回は実際に打ってみない?」と例の団体の方からのお誘いがありました。
その時の派遣先は、アットホームな雰囲気で、傍聴者も少人数で日常会話も多い内容だったので、初心者の私でも出来るかもしれない…という事で、誘っていただけたのかもしれません。
 しかし!今まで何回か、PCでの要約筆記を見学させていただいていたとはいえ、実際に自分が打つとなると、頭が真っ白になって、「うわーーー!今なんて言うたん!?ていうか今の日本語何!?そんな言葉知らんよ~!!」
という感じで、思いきりパニックになっていました。
途中で、キーボードの上で数分間、手がピタッと止まったまま動かなくなった事を今でも覚えています。
 でも、なんとか自分を落ち着かせて、ベテランさん達に助けられながら、自分が出来る範囲で頑張って打ってみました。すると、なんだかすごく充実した気分になったんです。
その時は、難聴者の方が少人数だったので、ご本人の前に表示用PCを置いていて、スクリーンは使わなかったのですが、最初にそのご本人が PCを見て、「すっごく分かりやすいです!」とこちらを向いて嬉しそうにおっしゃってくださいました。
私は思わずそれを聞いてニヤけてしまいました(笑)

 そして、終わった後には、本当にありがとうございましたとお礼の言葉を何度もいただいて、私は心の中で、「いえっ、私はただの新人でございますっ、ちゃんと要約していたのはこちらのベテランの方々ですっ」と思っていたものの、それでも間近で、ご本人に「リアルタイムで会話についていけるのがとても嬉しかった」と喜んでいただけたのがすごくすごく嬉しくて…。ほわ~んとした気分になりました。

 ベテランさんからも「頑張ったね」とのお言葉をいただいて、なんだかその日は晴れ晴れとした気分で、「あー、こんな私でも誰かの役に立てるんだー」と嬉しくなり、要約筆記をこれからも続けていこうかな、と思いました。

                                           阿波女

 

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第19回 難聴者の心理について②

テレビなどを、見ていたら、お笑い芸人が、「リアクション」がいいとか悪いとか言っているのを聞いたことがあります。

 ビックリするところで驚いて、面白いところで大笑いして、顔の表情豊かに、体の表現大きく反応するということをリアクションがいい!とか反応がいい!と言うようです。

 ジョークを飛ばし、それに対して、またジョークを返し、大笑いする。会話のキャッチボールとは、普通こういうことのようですが、僕たちには、よく聞こえていないことから、いつだって、どんな時も、リアクションよくというわけにはいきません。会話が充分に聞こえ、的確に理解していれば、そうすることができますが、聞こえないことが多くなってくると、だんだんリアクションしない傾向になります。
というより、もともと聞こえていないから、表情の出しようがなく、リアクションのとりようもないのです・・・

 周りで、雑談をしているのに、自分達はその中に入ることが出来なかったり、話の輪の中に加わることが出来ない時、僕ら難聴者は、一様に無表情になるのです。

 その表情は、あえていうならば、聞こえない事へのもどかしさや、やりきれなさを含めた「怪訝な表情」とでも言うべきでしょうか?

 そんな中、僕は、何を聞いてもビックリしないような、逆の心理状態に陥る時もあります。

 僕が初めて聞いたことや聞こえたことは、周りの人にとっては、ずっと前に出ていた話題の可能性がほとんどだから、あえて喜怒哀楽の表情を顔に出さず、知っているフリをするのです。

①の場合

Aさん
「土曜日の忘年会、行くの?」

「忘年会って、土曜日だったん?」
Aさん
「えっ?何言よん!今頃!前にちゃんと、皆に連絡しとるでよ!」

②の場合

Aさん
「土曜日の忘年会、行くの?」

僕の心の声
(えっ?そろそろだとは思ってたけど、土曜日だったのか・・・)


「まだ決めてないんよ!」

①の会話の場合だと、聞こえたことに対して、そのまま感情や感想を表に出した結果、このようなちょっと泣きたくなる会話になっていますが、②の場合は、自分の中で、一度整理し、「忘年会は土曜日」という既成の事実を作りあげた結果、知っていたフリをしている会話にしてしまっているのです。

 もちろん、そのことばかりを気にしていては、積極的な会話に繋がらず、むしろ、消極的な姿勢のままになってしまいます。知らず知らずのうちに、子供の頃から、聞こえたフリや、知っているフリをすることが身についてしまっているようなのです。
 そして、相手が笑っているから、この話題は「笑」なのだと、理解することによって、愛想笑いなどもしてしまうのです。

 もっとも僕の場合は、表情が特に乏しいようなので、高校の時、なにかの話題がひどくツボにはまり、ウケて大笑いした時に、「ntさん笑ったところを初めてみた!」って言われたり、香川の難聴協会へ初めて、お邪魔させて頂いた時にも「暗いな~」なんて言われて、僕自身そんなに笑ってなかったのかな・・・と思ってもみたものです。

皆さんとの交流で表情豊かに、腹の底から大笑いして、心の底から、共感し合いたいものです。

 

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第17回 映画の字幕について

このところ、映画を鑑賞する機会が何度かありましたが、そこで感じたことを書きたいと思います。
映画を鑑賞する時は、もちろん、邦画より洋画で、吹き替え版より字幕付きです。
洋画吹き替え版やアニメなどは口元の動きが分かりにくいので、というより、口元の動きで読み取るいわゆる「読話」が出来ないので、ストーリーの全体はなんとなく、つかむことが出来ても、詳細までは分かりません。
アニメなどの口元の動きは、キャラクターが発する言葉の内容と合致せず、それは、あってないようなものなので、理解することが特に難しいのです。こうなると、動きや表情などで理解する他、仕方がありません。

そういった意味で、邦画の場合であれば、口元の動きを見て、判断することが出来るので、少しはましですが、分かりにくいという意味では、同様です。

学生の時に、今で言う、認知症の関連の映画をみて、先生から、感想文を書きなさいと言われたことがあるのを思い出します。
自由奔走なおばあさんがいて、介護している女性が一人、おばあさんは認知症であるため、こちらの言うことには耳を傾けてくれない、そんな内容でした。

それを見終わった時、この映画は、「認知症の問題点を、社会に投げかける映画だったのかな?」それとも、「介護者の姿勢や、高齢化についての問題提起の内容だったのかな?」とか必死に考えたのですが、よく分からないままで、感想文を書くのに、非常に困った思いをしたものです。

このように、映画を見ても、よく分からないままに、終わってしまうと、ストレス発散どころか、「なんなのかなぁ~?」と余計にストレスがたまる原因になります。

ストーリー性がはっきりしている映画は結果として、目で見てわかりやすく、だいたい理解できます。

ストーリーにもよりますが、恋をしてふられてまた成就するといった展開や、ヒーローが悪と戦う物語等々は、ある程度分かりやすい単純なものなので明確ですが、鑑賞者自身が判断したり、鑑賞者の感性に委ねられるような内容の映画の場合は、表情や台詞が十分に自分自身に届いていなければ、全体が分かりません。

もちろん邦画にも字幕はついていますが、上映する時間や地域が限られていたり、まだまだ充分ではありません。

映画や舞台の、要約筆記や字幕による情報保障の充実を求め、いろいろな団体が、要望や訴えをおこしているようです。
①劇場や娯楽施設や文化施設での文字による情報保障(せっかく、見たいと思っていても、会話が聞き取りづらいことで、楽しむことが出来ないので、断念せざるを得ないケースがよくあります。)
②ミュージカルや舞台について、また各講演、文化施設においても字幕での文字による情報の保障の義務付け
③テレビ放送の字幕化の充実(テレビ放送での字幕の拡大の、今以上の充実)
④邦画DVDなどのメディアに対する字幕化の拡大

ちなみに、僕が、初めてミュージカルを観た時に感じたことは、演者の表現力に感動したり、パワーに圧倒されて、感激したりなどですが、率直な一番の感想は、こんな気持ちでした、

「僕達にとっての一番はやはり、要約筆記です。要約筆記のおかげで、色々な人が入り混じって喋る騒々しい、非常に聞きづらい状況ではありましたが、複雑な物語の内容を大部分理解することが出来ました。」

もっともっと字幕や要約筆記が映画や舞台にも拡大して、我々難聴者に安心して楽しめるようになって欲しいと思います
 nt

 

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第16回 難聴者の心理について①

難聴者は一般的に聞こえたフリをしたり、聞こえないままで、すごすことがよくあります。
そうするつもりもないのにそうしてしまう、そうせざるを得ない心理とでも言いましょうか。
相手の「面倒くさい」と思わせる表情や「イライラしている」ような仕草などを察知し、聞き返すことに臆病になったり、億劫にもなるのです。

 自分と相手の二人だけの会話の場合だと、まず、聞き取りやすい状況であることがありますが、自分が聞こえていなければ、あるいは分かっていなければ、会話が進みません。なので、自分が主となり、相手と会話を進めているなかで「エッ?」と聞き返さざるを得ないのですが、複数での会話の場合は、そうはしない、そこまではしない心理があります。

 どういうことかと、申しますと、自分が会話に入らなくても、A・Bさんが話していることで、会話は進み、経過と共に、おおまかな話の内容が後になって、分かったり、部分部分に聞こえてくる話の内容で考え、話題を探ることを出来るときがあるからです。

 一度、「エッ?!」と聞き返し、さらにもう一度、聞き返すことで、言葉の破片を少しずつ手に入れ、会話のヒントをさらにつかめたとしても、同時に、相手に不快感を与えているような気がするので、何度も何度も聞き返す必要性がない場合はそこまではしません。

 ただ、A・Bさんの間で既出の話題が、急に自分に、ふられた時には、聞こえていないことが多々あるが為に、「さっき言うたで!」とか、「物わかりが悪いなぁ~」と、このように言われることがあります。
そう言われることが、自分にとって、恥ずかしく、腹立だしく、悔しく、そして切なくなります。

 聞こえるまで何度でも聞き返しなさいとは、難聴者皆、よく言われるところですが、このような理由もあり、強く自分の中で聞き返すということをしないことがあるのです。

そして、最終的には、自分を納得させるのです。
「雑談程度については、聞こえなくても、差し支えないよな・・・」と。

これが、仕事の場合だと、そのような姿勢では、業務内容に差し支えるので、配慮を求めたり、態度を改めないといけませんし、聞こえるまでというより、分かるまで理解するまで、コミュニケーションをきちんと、とらなければなりません。

 僕の場合ですと、職場で休憩中、雑談をしている時に、自分にとって、聞き取りにくい声質の持ち主である、女性が雑談をしていても、よく聞き取れません。ところどころで、「あ、このことを言っているのだなぁ~」とか、聞き取れても会話についていくことは、大変難しいです。

 しかしながら、男性の声質であれば、比較的、聞き取りやすいため、その男性を通せば、聞き取りやすさを増し、さらに理解が深まるのです。もちろん、これは、僕の場合ですので、人によれば、女性の声質、いわゆる、高音だけが、聞き取りやすいとか、低音高音を問わず、全体的にもっと大きく喋ってもらわなければ聞き取りにくい人もいるわけで、一概にいかないところが、また難しいところです。

 雑談に要約筆記を派遣するわけにはいきませんが、そんな会話こそが、実は、本当に聞き取りたかったりするのです。

 P.S.「・・・出来る時がある」とか「・・・ことがある」と断定せず、曖昧性を持たせたのは、聴力の程度の個人差により、すべての難聴者に、この心理が適用されるものではないからです。

n.t

 

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第15回 仕事と私

現在、私は農協で金融窓口業務を行っています。年配のお客様が多いので声を大きくして、分かりやすく伝えることを心がけています。
補聴器をつけた方もよくいらっしゃいます。

 人相手の仕事というのは、コミュニケーションが非常に大切であると思います。100人の方がいれば、100通りの接客があるのかもしれません。大変だけど、いつもお客様から学ぶことの多いこの仕事は私は結構好きです。

 仕事は何のためにするのかって、時々理由もなく考えてしまう時があります。私は幼少の頃から後遺症でよくめまいの発作を起こしていたので、体力がないという自負があります。だからとても睡眠が大切です。

 睡眠を削ってがむしゃらに何かに打ち込めば、結果体を壊します(笑)悲しいですが、これは変えられない事実です。
上手に付き合いながら、でも自分の目標であったり将来の夢には少しずつ近づきたいと思っています。

 仕事は勿論生活をしていく上で必要な金銭を得るためのものだと思います。だけど、それだけでは寂しい気もします。

 私は今せっかく金融業に携わっているので、もっと金融商品や保険、税金、社会保険、不動産関係などを勉強して、お客様に適確なアドバイスを行えるFP(ファイナンシャルアドバイザー)になりたいです。

 それで聴覚に限らずですけれど、障害をお持ちになっている方も気軽に相談をして頂けるようなアドバイザーになりたいです。

 今私のカウンターの左前には、簡単な取引が記載されたシートが置かれています。まだ使ったことはありませんが、いつか活用できれば良いなと思っています。

 耳マークも、私のいる支店に一番最初に設置できるよう、上司に相談してみようと思っています。 職場の所長を始め職員の方は、私の左耳の事を気にかけてくれていて、とても有難いなと思いますし感謝の気持ちでいっぱいになります。
 私が左側から話されると聞こえづらいのでと伝えた先輩は、私を指導する時よく右側に回ってきて下さいました。 たったこれだけの事なんですが、本当涙が出そうなくらい嬉しかったですし、きっとずっと忘れないと思います。

些細なことが苦しかったり悲しかったりしますが、人の温かい部分にこれだけ敏感になれるのも幸せなのかなと思います。

田宮の農協で、まだまだただの平ですが(笑)お客様に喜んで貰えるように、もっと自分の商品価値を増やしていきたいと思います。
 
もしこのコラムがきっかけで、一期一会があればそれも何かのご縁かと。
9割はしんどいし疲れちゃうのが本音の仕事ですけど、ぼちぼち夢に向かっていこうかなと思います。

                                                 junko

 

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