第17回 映画の字幕について

このところ、映画を鑑賞する機会が何度かありましたが、そこで感じたことを書きたいと思います。
映画を鑑賞する時は、もちろん、邦画より洋画で、吹き替え版より字幕付きです。
洋画吹き替え版やアニメなどは口元の動きが分かりにくいので、というより、口元の動きで読み取るいわゆる「読話」が出来ないので、ストーリーの全体はなんとなく、つかむことが出来ても、詳細までは分かりません。
アニメなどの口元の動きは、キャラクターが発する言葉の内容と合致せず、それは、あってないようなものなので、理解することが特に難しいのです。こうなると、動きや表情などで理解する他、仕方がありません。

そういった意味で、邦画の場合であれば、口元の動きを見て、判断することが出来るので、少しはましですが、分かりにくいという意味では、同様です。

学生の時に、今で言う、認知症の関連の映画をみて、先生から、感想文を書きなさいと言われたことがあるのを思い出します。
自由奔走なおばあさんがいて、介護している女性が一人、おばあさんは認知症であるため、こちらの言うことには耳を傾けてくれない、そんな内容でした。

それを見終わった時、この映画は、「認知症の問題点を、社会に投げかける映画だったのかな?」それとも、「介護者の姿勢や、高齢化についての問題提起の内容だったのかな?」とか必死に考えたのですが、よく分からないままで、感想文を書くのに、非常に困った思いをしたものです。

このように、映画を見ても、よく分からないままに、終わってしまうと、ストレス発散どころか、「なんなのかなぁ~?」と余計にストレスがたまる原因になります。

ストーリー性がはっきりしている映画は結果として、目で見てわかりやすく、だいたい理解できます。

ストーリーにもよりますが、恋をしてふられてまた成就するといった展開や、ヒーローが悪と戦う物語等々は、ある程度分かりやすい単純なものなので明確ですが、鑑賞者自身が判断したり、鑑賞者の感性に委ねられるような内容の映画の場合は、表情や台詞が十分に自分自身に届いていなければ、全体が分かりません。

もちろん邦画にも字幕はついていますが、上映する時間や地域が限られていたり、まだまだ充分ではありません。

映画や舞台の、要約筆記や字幕による情報保障の充実を求め、いろいろな団体が、要望や訴えをおこしているようです。
①劇場や娯楽施設や文化施設での文字による情報保障(せっかく、見たいと思っていても、会話が聞き取りづらいことで、楽しむことが出来ないので、断念せざるを得ないケースがよくあります。)
②ミュージカルや舞台について、また各講演、文化施設においても字幕での文字による情報の保障の義務付け
③テレビ放送の字幕化の充実(テレビ放送での字幕の拡大の、今以上の充実)
④邦画DVDなどのメディアに対する字幕化の拡大

ちなみに、僕が、初めてミュージカルを観た時に感じたことは、演者の表現力に感動したり、パワーに圧倒されて、感激したりなどですが、率直な一番の感想は、こんな気持ちでした、

「僕達にとっての一番はやはり、要約筆記です。要約筆記のおかげで、色々な人が入り混じって喋る騒々しい、非常に聞きづらい状況ではありましたが、複雑な物語の内容を大部分理解することが出来ました。」

もっともっと字幕や要約筆記が映画や舞台にも拡大して、我々難聴者に安心して楽しめるようになって欲しいと思います
 nt

 

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