第18回 第15回全国中途失聴者・難聴者福祉大会in岡山に参加して

平成20年11月1日・2日、全国中途失聴者・難聴者福祉大会に参加してきました。この大会は、前身の全国難聴者福祉大会からこの大会名へと名前が変わってから、第15回目の大会であり、また開催地としても、昭和35年難聴学級生誕の地である岡山県での開催ということもあり、それにふさわしい素晴らしい大会でした。
僕自身も以前から興味がありましたし、いつもお世話になっている香川県難聴協会のメンバーも多数参加されるということで、一緒に楽しく、参加してきました。
また、第1回目のコラムにもありますが、山口県で行われたスポーツ交流会で、全国の難聴者の集まりに初めて参加した時に出会った難聴仲間にも久しぶりの再会を果たし、交流を深めることも目的の一つでした。

【第1日目】
初日は、午後からの開催であったので、お昼前に岡山駅で香川のメンバーと合流して、一緒に食事などしました。香川からは今回、15人?ぐらいで、岡山県へは、近いこともあり、多くのメンバーが参加されていたようでした。
会議では、テーマごとに分科会を設け、各分科会に分かれて、それぞれの難聴者自身が今、興味のある分野の会議に参加しました。
僕の参加したのは、「若者達の未来予想図」と題しての第4分科会でした。夢をかなえるために、聞こえの問題とどう向き合い、どう乗り越えていくかという内容と、若い人の目標の一つである、結婚をテーマに、そこで起りうるさまざまな問題を取り上げて、その解決方法や問題を参加者で話し合っていく内容でした。

【第1日目の夜】
会議終了後は、お待ちかねの交流会でした。僕たちは大会主催の懇親会とは別で、他県の青年部の方から段取りして頂いたホテルで泊まり、そこでの交流会に参加しました。(値段も、お安かったので良かったです。)
30数名の皆さんと、飲みながら、仕事の話とか、恋愛や趣味の話、また協会活動の話などなど、いろんな話を語り合いました。
そこでの交流は久しぶりの友人であったり、新しく知り合った難聴者でもあったりですが、夜遅くまで、楽しく酒を酌み交わすことができ、さまざまな出会いが今回もまた出来ました。
僕は、ちなみに携帯型筆談器COBOなどで書きまくりながら、「ナシの会」の宣伝や報告もしておきました。

【第2日目】
第2日目は、朝9時30分から行われ、メインの会場のブースにはパソコンや携帯電話など難聴関連ITの活用方法や、難聴関連グッズ、補聴器メーカーによる新型補聴器の展示もありました。耳マークの使用実績も掲示されていました。(全難聴のHPにある通りですが)
全体会議では、改めて開会式を行い、昨日の各分科会の報告や、高岡正理事長の基調報告や春山満氏による記念講演も行われ、大会宣言にて幕を閉じました。

【分科会のまとめ】
第1日目の、第4分科会では、ある難聴者の体験談を通して、10年前の自分は聞こえなくて出来なかった、あきらめてしまった問題があったが、10年経った今ではどうか?これからやってみたいことや夢を語ってくれました。また結婚をテーマに、難聴者同士の結婚の場合、相手の両親とのコミュニケーション手段や反対された時、式場での情報保障を披露宴でつけることに対して反対があったら・・・などについて、活発な意見がありました。
両親とのコミュニケーション手段については、実際、猛反対されて、半ば駆け落ち気味に家を出たとの体験もありました。子供もできた今は、もう認めてくれているとのことですが、時間が解決してくれることもあり、あせらずゆっくりと時間をかけて解決に向けて頑張っていければとのアドバイスなどがありました。
式場での情報保障についても、過去に実績のある式場であるとか、事前に打ち合わせを充分にしておくことも重要な要素としてあげられました。
その後、それぞれの参加者から、自分の夢を語りました。
福祉大学に進むので障害者福祉の勉強をしたい・・・、難聴者でつくる介護者の会を作りたい・・・、地元の青年部を復活させたい・・・、などなどです。
その他、各分科会の報告、第1分科会(これからの難聴者(児)教育のあり方)、第2分科会(人工内耳で輝く人生)、第3分科会(世界の難聴者は今)、第5分科会(JDF地域フォーラム)がありました。

【高岡正理事長の基調報告】
1、 日本政府が署名した国連の障害者の権利条約の批准のための検討について(この権利条約の内容をこれからの社会参加や就労支援、政見放送や通信、教育の問題に反映させていくことを要求していること)
2、 地域福祉再編成の中で、難聴者への社会の理解と支援施策の要求
3、 障害者自立支援法の見直しにより、要約筆記者派遣事業の市町村移行に伴う後退と地域格差の中で全ての市町村における事業実施と広域派遣、団体派遣実施と派遣範囲の拡大

【春山満氏の講演】
今の病気になって家族と一緒に歩んで来られたことや、介護ビジネスの会社を立ち上げてから今に至る経緯の話などがありました。
春山さんだからこそ感じることや分かることがあり、それが、今の医療や福祉の矛盾点や不備などに対する訴えとなり、そのことが会社に対する熱意と福祉機器の開発に対する情熱となっていることを聞きました。
今、僕たちが、持っているものや、出来ることは、些細なことであるけれど、手が動き、足で歩き、口で喋れる事、そのことは、実は、幸せなことなのだということを話の中で、改めて認識させられました。
「やがて足が動かなくなり車いすになるのなら、車いすになる前に僕の車いすを押してくれる社員を雇えればいいんだ。やがて手も動かなくなり握力もゼロになるのなら、字が書けなくなる前に僕の手の代わりをしてくれる会社というチームがつくれればいいんだ」と、残っている機能を120パーセント使うことで、必ず生き残れると、信じて生き抜いて来たそうです。
春山さんが、もう首から下は動くことのない体になった今、「もう一度、息子とキャッチボールをしたい・・・」「もう一度、妻をこの手で抱きしめてあげたい・・・」と夢を語っていた時には、多くの方が、涙をこぼして聞き入っていました。
心が強く気持ちが強い、こうだと決めたらそれに向かって突き進む決断力などもあると思いましたが、力強い講演内容は本当に勉強になりました。
「あたり前の幸せの有難さ」について、充分に考えることができました。

【感じたこと】
初めての参加でありましたが、いろいろな面で大変勉強になり、いい刺激にもなりました。
会議の中であったことの10分の1の内容も報告することが出来てはいませんが、その中で、印象に残った言葉や発言です。
・今はPCや携帯電話の普及などにより、わざわざ集まらなくてもよいが、聞こえない悩みは面と向かって話さないと、解決出来ないこと。そして、自分が聞こえないということを認めないのではなくて、自分が聞こえないという運命を受け止めて、協会の活動に参加して欲しいこと。
・現状を変えていくには、行政に何かを変えてもらうという姿勢なのではなく、行政を変えるのは自分達なのだということ。

もっともっと、ありましたが、数多くありすぎて・・・
でも、結局は、自分達が、障害の受容をしていく課程の中で、いろいろなアイデアやいろいろな方法を教えてもらったりしても、変わるためのキッカケにしかない、変わるのは自分なのだということです。
ただ、それには、人それぞれのスピードもありますし、自分なりのペースもあります。ゆっくりと自分なりのペースを保ちつつ、自分の地域で出来る範囲ではありますが、現状の改善に向けて地道に頑張っていきたいとは思いました。
もし、仮に行き詰まったとしても、自分たちの傍には、あんなに多くの同じ難聴者が、いるのだから、どれほど心強いことか!
今後、頑張っていく為の糧になりました。
岡山県の協会の皆さんをはじめ、この全国大会に携わったすべての皆さんに感謝をしたいと思います。
ありがとうございました。

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