第8回 聴覚障害者と医療

今朝、突然娘が誕生日の歌を歌いだしました。「そうだ今日は、私の誕生日。(ほんの少し幸せ)娘を産んでよかった!」思えば娘を身ごもった時、聞こえに不安を感じて耳鼻科診察を受けたのでした。
 「出産するともっと聴こえなくなるよ!」と耳鼻科部長は診断しました。私の質問(じゃ、出産はできないってこと?)をさえぎるように「はい、次の患者!」と。頭の中が真っ白になり、「これから私はどうなるのだろう?」将来の不安でいっぱいでした。

 婦人科の医師は「出産で聴力が悪くなるなんて聴いたことがないなぁ~」と。患者は勝手です。良い話だけに耳を貸します。私も「大丈夫心配ない!もし聞こえなくなっても、芽生えた命には変えられない!」そう決心して出産に臨みました。しかし、出産だけでなく3人の育児、仕事、家事に大変な体力を使い、聴力は段々と落ちてきました。

 現在私は、左が90dB右が60dbの難聴の看護師です。両耳に補聴器を装着して勤務をこなしています。もう、補聴器を使うようになってから十数年になります。看護師は、人の命を預かる仕事です。私のような聴こえにくい看護師が仕事を続けることがよいのかどうかずいぶん悩んだ時もありました。悩んだ挙句、私のようなものでもきっと何かお役に立てる看護ができると信じ、看護部長に相談し勤務場所に配慮をして頂き、与えられた場所で精一杯努力してきました。

 私が勤める場所は、皮膚科外来です。比較的静かな環境です。医師や周りのスタッフには聞こえが悪いこと補聴器を付けている事を伝えています。看護助手の方には大変お世話になっています。聴こえのことについての講演会などで情報を得た時には内容を読んでもらったりして、聞こえのことを話してきました。やがて聴こえの問題はお互いが歩み寄ることが大切だと、理解してくれるようになりました。

 医師の中にはいまだに「聞こえない人には大声で」と言った受け止め方があります。また聴こえないことを伝えているにもかかわらず「さっき言ったじゃない!」と叱責する無理解な医師もいます。そんな時はしばらく悩みますが、伝えなければ理解が進まないと思い、何とか自分の思いを伝えてきました。

 聞こえの悪い患者様が来ると筆談器を持ち出し、片言の手話や筆記で通訳をします。診療内容が上手く伝わり、安心して帰られる患者様を見ると嬉しくなります。

 難聴者協会でお世話になった方が、「血尿が出て検査をしても診断できずになんだか分からない。主治医は6ヵ月後に再検査と言うけれどこのまま放置しておいても良いか不安で仕方がない。」とメールを頂きました。詳しい内容を伺っていると、泌尿器科で診察・介助をしていた時の知識などでおかしいと感じることがありました。すぐ信頼できる医師に紹介をすると、悪いものだと診断されたそうです。

 しばらく連絡がなかったので心配をしていました。ご主人から電話があったと聞かされたときに訃報の連絡かと身が固まりましたが、聴こえないご本人が電話に出て、「あなたは命の恩人よ!」と言ってくださいました。こんな私でも、お役に立てたことが本当に嬉しく反対に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 昨年、私は大学病院で手術を受けました。今度は自分自身が聴こえにくい患者の体験をしました。入院時から耳マークを常備して説明を受けるたびに耳マークを提示して来ました。看護師をしていても知らないことはたくさんあります。担当の看護師は、聴こえないことに対して思いやりを持って対応してくれました。聴こえなかったことは面倒がらずに何度でも繰り返して答えてくれました。しかし中にはマスクをかけたままで話をする看護師もいます。決して悪気があるわけではなく、感染予防上仕方のないことではずしてほしいとは言えません。

 再度、看護師長に聴こえの問題を話し合ってほしいとお願いしました。勤務病院で聴こえない患者様の対応の仕方を書いた資料などを渡してカンファレンス(医療職間での話し合いのこと)を持ってもらうことになりました。そうすることで、私は、一度言っても伝わらないかも知れない患者と言う意識付けができました。

 全身麻酔にしても不慣れで不安の塊でした。病棟師長さんから、手術直前までは補聴器を装着することを提案してもらい、麻酔科医に伝えて頂き安心して手術に臨みました。麻酔科医の術前診察時に聴こえないことを伝えると、大声で話され同室者から同情されました。できれば、個室(予診室)でしてほしいものです。プライバシーの保護がありませんでした。こうあってほしいと、伝えられなかったことが悔やまれます。

 麻酔からさめるまでは、補聴器を付けないことも約束してもらいました。ボリュームの合っていない補聴器を眠っているまま付けていることは知らない間に耳を傷めているかも知れないと思ったからでした。

 全身麻酔から覚めると、無事に手術は終わっていました。看護師は、聴こえに配慮して話されるので、補聴器もしばらくは使用しないままですんだ事はとてもよかったです。全身を耳にして聴くことは本当に疲れるからです。同室者とのコミュニケーションにも苦労しましたが、伝えることで何とか分かっていただくことができました。

 どこの病院に行っても、聞こえのことを理解してもらうのは一苦労もふた苦労もあると思います。医療従事者の個人差によっても対応が違います。身内に聴こえない方がいると接し方も違ってきますが、ほとんどそうではありません。耳マークを提示して聴こえには配慮が必要なことを自ら伝えることは自分を守るためにも必要なことです。くどいぐらい必要だと思います。

 医療過誤・医療ミスが多いことは、高度医療化が進み現場が忙しさに紛れているからです。医療者だけでなく患者自身も自らの安全を守る必要に駆られています。安全、安心な医療を受けるためにぜひ耳マークなど視認的に分かるものを使ってほしいと思います。医療従事者は超能力者ではありません。必要な配慮を申し出ていただくことが必要です。歩み寄って、お互いが理解し合う事ができる医療現場を作っていきたいと思っています。それが今の私に与えられた使命と感じています。

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第7回 身体障害者との共生について

ゴルフやボーリングというスポーツにはハンディキャップというシステムがあります。これは上手な人も下手な人も一緒にゲームを楽しむための方法です。
 その他にも囲碁・将棋ではハンディキャップという表現はしませんが、2子とか3子、あるいは角落ち、香落ち、チェスでは駒落ちという制度ではなく、考慮時間のハンディキャップを与えるなど色々な方法があります。
 ハンディキャップは、年齢差、体力差、性別、実力の違うもの同士が対戦する場合、点数が開き過ぎたり、勝敗が確定していては同じように 楽しむことができないため考え出されたものです。

 ハンディキャップ無しでゲームを競い合った場合、10回しても100回しても上手な人が勝ち、下手な人が負けてしまいます。こんなゲームは楽しくありません。
 誰が楽しくないのでしょうか?いつも負けている者でしょうか、いいえそれだけではありません、いつも勝っている人も同じように楽しくないはずです。

 このハンディキャップを付けることによって、上手な人も気を抜けない面白い内容のゲームを対等に競い合うことが出来、楽しみや感動を共有することが出来るのです。
 ハンディキャップは弱い人や下手な人に与えるものではなく、強い人や上手な人の為にも与えるものだったのです。

 このスポーツやゲームにおけるハンディキャップは、そのまま身体にハンディキャップを持つ身体障害者の皆さんにも当てはまると思います。
 現在は、地域や職場に置いて、身体障害者の皆さんがたくさん活躍をしています。障害者雇用促進法や障害者自立支援法の整備により、今後ますます活躍の場は増えて行き、私達は更に深い係わりを持って暮らしていく事になります。
 四肢に障害、視覚に障害、聴覚に障害がある人等、身体障害の状況はさまざまですが、その人達とのコミュニケーション手段の確立は身体障害者の受益だけではなく、健常者も大きな受益者のひとりなのです。

 身体障害者との共生を考えるとき、一番最初に理解しなければならないことがあります。それは、障害は個性であり、人間性や能力の欠損ではないということです。 車椅子を利用している障害者は、足に代わる移動手段が確立されれば、なんら損失はありません。聴覚に障害がある方は、文字による情報保障が充実すれば、なんら損失がなく、視覚に障害がある方は、音や触感で情報保障が行われれば問題はありません。

毎年、交通事故の発生件数は90万件前後です。もしも会社の第一線でバリバリ仕事をされている方が、交通事故で車椅子の生活を余儀なくされたら、もうその方の総ての能力がなくなってしまうのでしょうか?ある朝目覚めた敏腕サラリーマンが突発性難聴で聴力を失うことになったら、そのサラリーマンの能力は聞こえと共に全て消え去ってしまうのでしょうか?
 衰えたり、十分に機能をしなくなった部分だけを周りでカバーできたら、遜色がないどころか、非常に大きな戦力となり仕事も生活もこなすことができます。上から下、できる者からできない者への一方通行ではなく、不自由な部分のみをカバーして、後は対等な関係で互いを尊重し合える人間関係作りが真の共生ではないのでしょうか。          
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第6回 「エッ!?」の真意

施設を評価するサービス評価事業の評価員との問答の際

「スイマセン、難聴なので、声をやや大きく、はっきりとゆっくり喋って頂けませんか?大概はそれで聞き取ることが出来るのですが、どうしても意思疎通が図れないという場合は書いて頂いたら・・・」
それを伝えることで、評価員の人もこころよく納得してくれ、それなりの配慮をしてくれた。でも段々と話が進むうちにまた聞こえにくい場面があったので、その時はまた「エッ?!」と繰り返すことで、我々が聞き取りにくい時に使う「エッ?」を理解して、言い方を変えてくれたり、やや大きく喋ってくれたりした。

「エッ?!」というのは難聴者が聞き取りにくい場合や聞こえなかった場合に使う時と、聞こえたことに対して「何言ってんの?」と確認の意味やビックリした時に使う意味合いのものがあると思います。

例えば、男性が女性に告白する場面にて・・・

男性A「君のことが前から好きだったんだ!」

女性B‐①「エッ!」
「ホントに・・・?私も実はあなたのことが・・・」

女性B‐②「エッ?」
心の声:「〇ミノコ〇ガ〇〇カラ〇キダ〇〇ンダ?
なんだ?なんだ?なんて言ったんやろ・・・?」

 この時の女性B‐①の発した「エッ」っていうのはまさに、一般的に使うビックリした意味だろうと思います。実は彼女も密かに恋心を抱いていたので、突然の告白にさぞビックリしたことでしょう・・・

 一方で女性B‐②の場合は、聞き取りにくかった際の「エッ?なんて言ったのですか?」の意味であろうかと思います。聴き取れた断片的な言葉を拾って、必死に想像をしているのですが、推測することすら出来ていません。「聴こえたフリ」して曖昧に返事しているうちに、どんどん自分の意に反して、事がすすみ、やがて結婚指輪を渡される事態にまで、発展しているのかも知れません・・・(笑)

 難聴者の「エッ?」の真意を分かってもらう為には、大事な場面や聞き取りにくい場面に遭遇した時は、早い段階で配慮を申し出ることが重要だと思います。勇気を出して、その事について正直に話をし「エッ」の真意を理解してもらう事が出来たなら、あとは相手にもよりますが、大抵の人は、大なり小なりある程度の配慮はしてくれるような気がします。

 でなければ、健聴者がよく使う「エッ!」と同じような受け取り方をされて、結局2回目も同じような喋り方をされることになり、それは「はっきり」「ゆっくり」「やや大きく」とは程遠いものになるでしょう。
結果として、お互いの意思疎通やコミュニケーションにも大きく影響を与えるのではないでしょうか・・・

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第5回 夢について

難聴であることで、理想とはかけ離れ、憧れからは縁遠い生活を送っていた自分がいた。
希望を捨て、夢を語るなんてことのない・出来ない自分になっていた。

やりたい仕事って何?自分に出来る仕事って何?

昔、レストランでアルバイトしていた時に、オーダーと違うものを作ったり、指示が聞こえなかったり、といった多くの聞き間違いを犯した事があって、それがトラウマになってしまいました。

「こんなんじゃ、仕事なんて出来ないな・・・」
「仕事するにしても自分で選んであれがしたいこれがしたいなんてそんな立場にはないな・・・」
心の中で、そう思っていました。
正直、選択の余地はあまりないなって感じていました。

恋愛なんて!難聴を認めることすら出来ない自分が、好きな女性に告白なんて出来るの?

女性と付き合うのも、非常に難しいのではないかなと・・・自分の聞き取りにくい高音は人間の声で言うと、若い女性の声なので学生時代も、女性からは避けてしまうようになっていました。
真面目でウブみたいな感じでとられていたようですが、自分もそうとられるのに慣れていましたが。
{本当は好きなんだけど(笑)}
「これは恋愛を語るどころじゃないな・・・」
「歳の離れた年配の女性だったら、比較的聞き取りやすいから、それだったらいいのかな?」
なんて自分なりに恋愛観を固定していたような気がします。

夢を語る?難聴の事がネックになって、何事も億劫になる自分に、なんで夢なんて語れるの?

夢を持つなんて言葉自体、自分には、考えたこともありませんでした。だって何かしたい仕事や、したいと思う事があってもいつも難聴の事が頭に浮かび、そのことを、いつも心配し不安になる自分がそこには居たから。
それを実現する手段すら浮かばなかったから、絶望の中から希望を見いだす事は出来なかったのです。
 でも同じ難聴者と出会い、交流を深めるうちに、そのためのいろいろな手段やいろいろな方法が見えて来ました。
難聴者だって、夢を持てるんだと気付き始めました。
結局のところ、夢や、やりたい事を見つける事ってこういうことかな・・・

『夢は、叶っても叶わなくても持ち続けることが大切である。夢や憧れや希望に理想があってこそ毎日に生き甲斐を感じられると思うのである。』

多分どっかの偉人の言葉・・・(笑)

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第4回 ついに・・・身障手帳を取得した。

今までは障害の受容が進まずに、また自分の聴力程度であれば、何度かの「エッ?何?」と、多くの「聞こえたフリ」でやってこれた為、手帳を取得することは否定的でした。
学校の健康診断や社会人になってからの職場健診での聴力検査でも、隠す事ができるかどうかしか考えておらず、まして聴力障害者と社会的に認定されることは、考えることの出来ない屈辱的なもののように考えていました・・・過去の自分にとっては。

手帳を取得することの意義やメリットも充分理解していませんでしたし・・・

それに地元の役所ということで、窓口には学生時代一緒に過ごした同級生が居たり、「ちょっといいなぁ~」なんて思っていた女の子が居たりなんかして、学生時代は補聴器をつけずに、「騙し騙し」「隠して隠して」生きてきた自分にとって、地元で取得するということは二重に勇気がいるものでした。

「手帳はあくまで福祉の補助を受けるためのものであって、自分は障害者であるかどうかなどといったこととは別問題です」
「経済負担の軽減や交通機関の減額のさまざまな制度があり利用する方が良いと思います。どのような制度であれ、多くの方が利用する事によって、より内容の充実したものになると思います」

こういった皆さんのあたたかい後押しの言葉と、多くの人の意見により、障害を持っている人の当然の権利として考えられるようになり、ようやく決心がつきました。

障害者手帳を取る決意のもと耳鼻科に行ってきたところ、ひっとしたら、ギリギリ通らない可能性もあったので、生活面での不自由さや語音明瞭度などの検査もして頂くことも視野に入れていましたが・・・病院の先生のところでは驚く程、スムーズに行きました。
「今の聴力なら該当しますから、将来的な事を考えた場合、持っていた方がいいね」と逆にすすめてくれたぐらいなので・・・診断書とともに役所へ関係書類を提出して、約1ヵ月後に手帳取得しました。

手帳取得後、親しい難聴仲間からは「おめでとう!」と言われました。同じ立場の難聴者からの言葉で、なかなか踏ん切りがつかなかった自分の勇気におめでとうだったり、今までの経緯や、また中軽度な難聴者であった場合は、医師の診断書がなかなか下りなかったりする事もあるらしいので、そんな意味も含めて「おめでとう」というそうなのです。
健聴者からの言葉であれば、少し皮肉に聞こえるのかもしれませんが・・・

でも今の僕は「おめでとう」と言われ、

「ありがとう」

と素直に言えます。

P.S.皆さん、また福祉サービスの情報を教えて下さいね

n.t

 

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第3回 ある施設での出来事を通して難聴について考えたこと

利用者A:
「トイレットペーパーがないんで、補充して!」

忙しい時に声を掛けられた職員Bは他の利用者の世話をしながら、「ちょっと、待って!後で補充しとくから」普通の声で喋る。

利用者A:
「ちょっと、どうなってるの?」

職員B:
「さっきから言ってるでしょ!ちょっと待ってて下さい。」で、つぶやく。
「もう、いつもあんな調子なんだから!あのAさんは自分の都合ばかり主張して・・・」

利用者Aは腑に落ちず、退散する。

※利用者Aは充分に聞こえておらず、全く理解が出来ていない。
※職員Bはちゃんと利用者Aに対して伝えていると思っている。

この場合、この利用者が認知症があるとか、また自分の都合ばかり言うとかいろいろな理由があるにせよ、ただ一点配慮してあげて欲しく思ったのは、この利用者Aさんは難聴であるということ。

この職員Bが難聴者に対しての理解が少しでもあれば、また「声はやや大きく、はっきりと、ゆっくりと、正面で・・・」
このことを知っていて、それを配慮しさえしてくれていれば、もっとコミュニケーションが進み、もっと意思疎通が図れたのにと、大変残念に思いました。
例え、認知症があろうとも、会話のキャッチボールをすることが出来るのにとも思いました・・・。

その上で、認知症や理解力うんぬんの話になるのにこれじゃ、スタートラインに立つことすら、させてあげず人格否定じゃないですか?

それに、この場合だと、一方的な会話になっており、難聴者の気持ちが痛いほど分かる自分としては、その会話を傍で聞いていて、もどかしくてしょうがなかったのです。むしろ逆に何が何でも分かってもらいたいとの気持ちがあり、通じなければ「やや」より「さらに大きく」喋る、筆談するとかの手段をもって、意思疎通を図りたいと思いました。
その職員Bの気持ちの上では、おそらく面倒くさかったり、どうせ聞こえたところで分かってもらえないだろうとかそんな気持ちがあったのかも知れませんが・・・(その後、職員Bが居ないところで、自分が代わりに喋りましたが。)

 最近つくづく感じるのは、周りの健聴者の皆さんの勘違いもありませんか?「あの人聞こえてるよ!」というまわりの思い込みもありませんか?

例えば、健聴者のCさんと難聴者のDさんが会話していて、敬老会の話で既に盛り上がっている際

Cさん:
「敬老会いくんかえ?」

※Dさんに実際に聞こえている内容
「ケ〇〇カ・・・・い・・かえ?」

Dさん:
「うん、今年は行くでよ!」

このような会話をした場合にCさんからしたら
「Dさんちゃんと聞こえてるよね!だからそんなに大きい声で言わなくても大丈夫だし、普通に喋って配慮なんてしなくても大丈夫よ!」

ちょっと待ってと言いたいのは、難聴者Dさんは、実際には聞こえの内容が部分部分しか聞こえていないのですが、この会話の流れだと、ケがつく言葉で、そのニュアンス、また疑問符で終わるような話だと多分敬老会のことだろうなと見当をつけ、その上で喋っているのです。
それゆえ、「敬老会いつあるんかえ?」と間違うこともあるかもしれませんが。

老若男女難聴者皆、考えながら、推測しながらの会話なのです。
この会話の流れだと、こういうことだな。と考えながら、ひょっとしてこうなのかな?と推測しながら、会話しているのですが、実際の聞こえはそうはっきりと、内容を全部聞き取る事が出来ているかどうかと言えば、その半分も聞こえていない事がほとんどなのです。(聴力dbにもよりますが)
そのために、予想だにしない、とんでもない聞き間違いを引き起こすこともよくあります。

ちなみに自分が最近犯した聞き間違い

「ア〇〇〇〇〇、やめるらしいぞ!記者会見してるぞ」

僕:
「エッ!やめるん!びっくりや!でも記者会見するって今ドリームランドにおるんちゃうんかえ?」

この時点で、朝青龍と安倍総理を勘違いして思い込んでしまっています。

最初の一文字の「ア」しか共通する言葉がないのですが、なぜこのような事になったのかというと、

例えば、連想ゲームをしながら・・・

問題:「ア」がつく人でやめると言って世間を騒がせる人は誰でしょう?

このような問題を瞬時に脳内で考えて推測してしまっているからなのです。

そもそも問題の時点で既に間違っているのに、滑稽な話です。

難聴者である僕達は、聞き取れた言葉の範囲内で考えながら、推測しながら喋っているので、少しでもその推測する材料を増やす努力をして欲しいのです。

「安倍総理大臣がやめるらしいぞ!」

「安倍内閣が発足したばかりやけど、総理がやめるらしいぞ!支持率も低下しているし、選挙にも負けたから仕方ないんだろうな!」

ここまで喋ってくれれば大丈夫です。

もうドリームランドでの記者会見とは間違えません・・・(笑)
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第2回 山口県スポーツ交流会に参加して

初めは、この交流会に参加するのが友人ひとりだけだと聞いて、正直、
『自分も参加しなければよかったのかな~、どうせ参加するなら、香川県の皆さんが多く参加する方がいいのに・・・』  なんて思いながら、友人と一緒に高松から、高速道路で行きました。

結果からいうと、そこには、大変良い「出会い」と良い「思い出」がありました。
スポーツ交流会では、スポーツも面白い内容でしたが、「勝った負けた」で一喜一憂する・・・共に喜び、共に盛り上がる、そんな感覚に久しぶりに陥りました。
もちろん、職場や、健聴者の友人と同じようにスポーツをしたり、運動会をしたこともあります。でも、どこか冷めている自分がいて、知らず知らずのうちに心にバリアーを張っていて、
『自分は違う世界にいるんだ』と思っていました。
心の底から、『楽しむ』という感覚を忘れていただけに、余計にそう感じました。

ここでは、聴力dbの差こそあれ、難聴であることには変わりなく、遅かれ早かれ難聴であることに悩み、苦しみ、今の笑顔にたどり着いた人たちばかりなんだなぁ~とも感じました。
まあ、おかげで、僕の所属していたチームは見事優勝しましたが・・・

その後、部屋に帰り、宴会で料理やお酒を楽しんだあとに、自由交流会の前の少しの間、同部屋の皆が出て行き、部屋で独りでいましたが、その間、仰向けで天井を眺めていて、淋しく感じていた、以前の自分を思い出しました。
でも、『今は、独りじゃない!』悩みを分かち合える、共有し合える友達が、仲間が、ここには、こんなにいるんだと、感慨深く考えていました。
自分のモヤモヤした気持ちを吹き飛ばす、風になっていると、確かな自覚がありました。

その後の、自由交流会では、ざっくばらんに、語り明かしましたが、いろいろな仕事をしていたり、僕と同じような資格を持って、活躍していたりするのを聞いたりして、同じ難聴者として、いい刺激を受けました。そこでの出会いを、今後、社会でやっていく為の、糧にしたり、知恵を、もらったりして、頑張りたいなと思いました。

夜中まで及んだ語らいは、まるで、修学旅行のようで、楽しかったです。
(いつの時代も男と女が夜中に語り合う事って、少し、Hな内容だったり、初恋話だったりですね~笑)

僕は皆さんよりも、少しだけ、聴こえが良い方だとは思いましたが、それでも、難聴者としての悩みは同じようにあります。
聴こえなければ、『えっ?もう一回言って!』って臆することなく、気兼ねすることなく、言える、今の難聴友達との交流は、僕にとって、心地いいものです。

自分にとって、健聴者に求めるもの、難聴者と触れ合いたい部分なんかが、おぼろげながら見えてきたような感じでもあります。

皆さんとの『出会い』『活動』や『交流』を僕の心のオアシスにさせて頂きたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
n.t

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第1回 難聴活動に参加するようになって

僕が、難聴活動に参加するようになったキッカケは、周りに同じような悩みの難聴者がいないがゆえに、悩みを抱え込んだり発散する場がなかったことや、また一人で悩んでいることが寂しかったせいもありました。 

 中軽度難聴である為に、障害を受容することが出来ずに、「聴こえたフリ」や「愛想笑い」などをして、いわば『偽りの人生』を送ってきました。
しかし、先日行われた、山口利勝先生の講演は、自分の今まで感じてきたことや矛盾をすべて解消してくれるものでした。

 まさに、自分自身の「行動の正当化」をする根拠を示して頂きました。
「お前はすべて耳のせいにしている」「もっと聴こえの悪い人だっている」などと言われて、一度は自分の中で、頑張る決意をしてはみたものの、なかなか、社会では、難聴を隠しながらやっていくのは、難しく、また、自分自身でも、どういったことが社会で支障があるのか?どういったことを健聴者に援助してもらわなければならないのか?ということが理解出来ずにいました。

ついに、難聴のことをカミングアウトして、
「声を①やや大きく②ゆっくりと③はっきりと④口元をみせて・・・大事な用件の時は、静かな場所で、連絡事項は出来るだけ、書いて欲しい」
ということを言えた時は、自分自身の『勇気』が嬉しかったことを思い出します。

 今まで、他人と喋っていても漠然と聞いていて、自分自身のことすら分からず、自分の居場所をも探してフワフワとしている、宙に浮いている状態だった時があるだけに余計に嬉しかったです。
ただ、他人に援助をしてもらうばかりでなく、自分自身でも努力は必要だとも思います。
①よく聞き取れなかったことは何度でも聞くこと
②他人よりも情報源が狭いから、興味を持って積極的に関与していくこと
③謙虚な姿勢で持って、健聴者と共に・・・
 この点に気をつけながら、頑張っていきたいと思います。

 徳島の他の難聴者の方々と知り合いや友達になったりして、講演を聞いたり、演劇などをみたりするうちに、またその際も「ひこばえ」のスタッフの方々の協力おかげで、ホントに心から、理解でき楽しむことが出来ました。

 皆さんとの『出会い』や『活動』『交流』を僕の心のオアシスにさせて頂いてもよろしいですか?
どうか今後ともよろしくお願いします。
                                                 n.t

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