ゴルフやボーリングというスポーツにはハンディキャップというシステムがあります。これは上手な人も下手な人も一緒にゲームを楽しむための方法です。
その他にも囲碁・将棋ではハンディキャップという表現はしませんが、2子とか3子、あるいは角落ち、香落ち、チェスでは駒落ちという制度ではなく、考慮時間のハンディキャップを与えるなど色々な方法があります。
ハンディキャップは、年齢差、体力差、性別、実力の違うもの同士が対戦する場合、点数が開き過ぎたり、勝敗が確定していては同じように 楽しむことができないため考え出されたものです。
ハンディキャップ無しでゲームを競い合った場合、10回しても100回しても上手な人が勝ち、下手な人が負けてしまいます。こんなゲームは楽しくありません。
誰が楽しくないのでしょうか?いつも負けている者でしょうか、いいえそれだけではありません、いつも勝っている人も同じように楽しくないはずです。
このハンディキャップを付けることによって、上手な人も気を抜けない面白い内容のゲームを対等に競い合うことが出来、楽しみや感動を共有することが出来るのです。
ハンディキャップは弱い人や下手な人に与えるものではなく、強い人や上手な人の為にも与えるものだったのです。
このスポーツやゲームにおけるハンディキャップは、そのまま身体にハンディキャップを持つ身体障害者の皆さんにも当てはまると思います。
現在は、地域や職場に置いて、身体障害者の皆さんがたくさん活躍をしています。障害者雇用促進法や障害者自立支援法の整備により、今後ますます活躍の場は増えて行き、私達は更に深い係わりを持って暮らしていく事になります。
四肢に障害、視覚に障害、聴覚に障害がある人等、身体障害の状況はさまざまですが、その人達とのコミュニケーション手段の確立は身体障害者の受益だけではなく、健常者も大きな受益者のひとりなのです。
身体障害者との共生を考えるとき、一番最初に理解しなければならないことがあります。それは、障害は個性であり、人間性や能力の欠損ではないということです。 車椅子を利用している障害者は、足に代わる移動手段が確立されれば、なんら損失はありません。聴覚に障害がある方は、文字による情報保障が充実すれば、なんら損失がなく、視覚に障害がある方は、音や触感で情報保障が行われれば問題はありません。
毎年、交通事故の発生件数は90万件前後です。もしも会社の第一線でバリバリ仕事をされている方が、交通事故で車椅子の生活を余儀なくされたら、もうその方の総ての能力がなくなってしまうのでしょうか?ある朝目覚めた敏腕サラリーマンが突発性難聴で聴力を失うことになったら、そのサラリーマンの能力は聞こえと共に全て消え去ってしまうのでしょうか?
衰えたり、十分に機能をしなくなった部分だけを周りでカバーできたら、遜色がないどころか、非常に大きな戦力となり仕事も生活もこなすことができます。上から下、できる者からできない者への一方通行ではなく、不自由な部分のみをカバーして、後は対等な関係で互いを尊重し合える人間関係作りが真の共生ではないのでしょうか。
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