第14回 難聴者自身が考えること

僕の場合は、普段補聴器をつけて生活している中で、条件や環境が整えば、健聴者とほぼ変わりなく、生活が出来ているようにも思います。

しかしひとたび、補聴器を外せば、会話もスムーズにいかなくなり、自分は難聴者なのだということを再認識します。

これが、視力が悪い人の場合だと、眼鏡やコンタクトレンズを装着することで、日常生活に全くといっていい程、支障がなく、普通の生活をすることが出来ると思いますが、難聴者や中途失聴者の場合、そうはいきません。

他人からは分かりにくい障害であることや、自ら打ち明けたり、説明したりすることが難しく、その援助方法も、さらに、難しいことなどがあるからです。自らの聴こえについて、配慮が必要なことを人に伝えることは、とても勇気がいり、どういうことを配慮してほしいのかを、自分自身でも、理解しがたい部分もあり、簡単にはいきません。

とても、勇気がいることですが、援助して欲しい旨を伝えなければ、周りには理解されないままです。

その不利や不安を少しでも解消する勇気を出させるために、「耳マーク」というのがあります。

この耳マークを持参していることは、周りに配慮をして欲しい旨を相手に分かってもらい、気遣ってもらうことが出来たり、公共施設や各関係機関が掲示をすることで、難聴者や聴覚障害者がスムーズにコミュニケーションを図れるように、配慮されているものだと、そう理解することが出来ます。

例えば、自動車を運転していて、車イスの障害者マーク、初心者マーク、高齢者マーク、これらのマークを街で、見かけたら、少なくとも、減速をしたり、車間距離を取ったりなどの、人それぞれの、「配慮」をすることでしょう。

同様に、この、「耳マーク」が普及することは、掲示や、持参している難聴者や聴覚障害者については、「筆記を伴う説明をする」、「ゆっくりと、やや大きな声で喋る」、「口を大きく開ける」など、聴こえに対する配慮をして欲しい旨を、何も言わなくても、自然に分かってもらうことができるのです。

ただ、近い将来、この耳マークの普及により、周りの理解が得られる日が訪れたとしても、お互いを思いやる気持ちは、常に忘れずにいたいと思います。お互いを分かり合える努力をし、難聴者自身が、他の難聴者に対して、配慮が出来るような気持ちでいたいです。

会議などで、良く聞き取れていないように見受けられる、同じ難聴者がいれば、そっと、メモを手渡したり、コミュニケーションが充分に取れていないような場合は、補足をしてあげたりなどです。

「思いやりの気持ち」を忘れずに、同じ難聴者との交流や活動をしていきたいと思っています。
聞こえないことの辛さや寂しさは、難聴者である僕たち自身が、一番よく知っていることだから・・・

n.t 

 

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第13回 2月の初めに風邪をひきました。

クシャミ、鼻水、鼻詰まり、咳、のどの痛みと熱がないだけで風邪薬の宣伝のような症です。

私の場合風邪をひくと聞こえが悪くなり実はそれが1番怖い、耳に栓をしたような状態になるからです。

すぐ耳鼻科へ行って薬をもらい鼻から耳に風を通すと聞こえるのですが、すぐ元どうりになってしまいます。1週間に1度薬をもらい風を通す事を繰り返していました。

でも1月の元気だった時2月17日24日とチームより団体戦の試合を言われており、2月に入ってこんな状態だから練習もしていないので、少し良くなった時練習に行ってみたのですが、これで又後戻りをしてしまいました。

団体戦では、人数が丁度である場合がほとんどなので欠場すると他の人の迷惑になり、そうも言っていられないので出場しましたが、1ヶ月余りたった今やっと聞こえが戻ってきました。

風邪の間中このまま聞こえなくなったらどうしようと思い苦しかったし電話も怖かった。
今までもこのような経験は何度かありましたが、こんなに長いのはなかったように思います。

この事があって思った事は、自分自身電話が使用出来なくなった時どのように通信手段を使えばいいのでしょうか?
もちろんパソコンや携帯のメールもありますしファックスや郵便もありますが、相手の方がパソコン、携帯電話をお持ちでない時にはどうにもならないですよね。
皆さんはどうされていますか?

  チャイム

 

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第12回 自助(セルフヘルプ)グループについて~当事者活動に関わった自らの体験

■自助グループとの関わりのきっかけ

私が自助(セルフヘルプ)グループと直接関わるようになったのは、今から20年ほど前、母親が神経難病のパーキンソン病に罹患し、「全国パーキンソン病友の会」と関わるようになって以来です。

この病気は緩やかながらも症状が進行し、やがては全身性の障害となって日常生活に大きな支障を来たします。もちろん本人も大変ですが、家族にとっては在宅での療養をどう支えていくかがテーマとなってきます。そんな中で考えたのは、そもそもパーキンソン病とはどんな病気か、症状に伴う身体の障害とはどのようなものか、同じ病気と闘っている他の患者さんや家族はこの病気とどう向き合い、付き合っているのだろうかということを知りたくなり、患者と家族が中心となって活動している「全国パーキンソン病友の会」と後に深く関わるようになったわけです。

■徳島「友の会」の発足

「全国パーキンソン病友の会」は、1998年時点で徳島には組織されていませんでした。そこで身近な地域で当事者同士が情報交換できる場が必要と考え、私も含め、7名で半年ほどかけて結成準備をし、1998年11月に「徳島県支部」を発足しました。

当事者である患者とその家族が中心となって運営するのが「自助(セルフヘルプ)グループ」です。私は当初からこの基本的なスタンスだけにはこだわりました。どんなに偉い専門職でも当事者が中心でなければ意味を成さない・・・。
専門職との協力関係は言うまでもなく必要ですが、会の構成はあくまで当事者中心、この「自助(セルフヘルプ)」というのがコアな部分でなければ当事者のためのグループとは成り得ないと考えていたのです。
活動の目的としては、パーキンソン病を必要以上に怖れず、侮らず、病気について正しい知識を得ること、上手な付き合い方、生活面での工夫などについて多くの人々との交流で学び合うこと、情報や経験を共有すること、視点や考え方を変えてみること、仲間や相談相手・支援者を得ること、そして住み慣れた地域の中でよりよい療養生活の環境を創りながら、パーキンソン病と共に「自分らしく自立していくこと」を掲げています。
具体的には、定例会の開催、機関紙(会報)の発行、情報誌の発送、医療講演会・各種相談会の開催、医療・福祉・保健などの専門職やボランティアの方々との相互理解とネットワークづくりの推進などをメインに行っています。
定例会では時にワークショップ形式(参加体験型)を取り入れ、自らの療養生活上の問題点を整理し、可能な限り解決、または改善していく方策を見出すなどの取り組みも行っています。 
■自助(セルフヘルプ)グループとは?

難病や心身の障害を持つ人たちをはじめとして、アルコールなどの依存症、身近な人を亡くした人たち、吃音の人たちなど、共通の問題を抱える人々が出会い、お互いの悩みや体験を分かち合って、自分で課題に対処できるようになる場であり、相互に援助し合うために、当事者によって自発的に組織され、運営されている自立性と継続性を有するグループのことだと言われています。
多くのグループは、会報の発行や定例会の開催などを行っており、そうした活動を通して当事者同士が交流を図りながら、お互いに知識を高め、情報を共有し、体験を分かち合うとともに、他の当事者の考え方や生き方と接することで、自分らしく自立していくための能力を向上させていきます。
また、地域の中で様々な分野の人々とのネットワークを築き、相互理解を深めるといった働きもあります。
おまかせの医療・福祉から、当事者自らが参加し、「自己選択・自己決定」する時代への変遷の中で、「セルフマネジメント」といった活動も実践されてきています。セルフヘルプグループが果たすべき役割は、今後ますます重要になるものと思われます。
なお、専門職の方の支援との違いには主に次のような特徴が挙げられるとされています。孤独感の緩和(自分だけではない)、自己の再発見(いろんな当事者の考え方・生き方を知り、自分を見つめ直す)、相互援助(自分自身を助けることが他の当事者を助けることになっている)、精神的な支え合い(共感と理解)。
最後になりましたが、「徳島県難聴者と支援者の会」が、地道ながらも息の長い自助(セルフヘルプ)グループとして発展されることを願っております。 打樋 茂之

 

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第11回 難聴への想い

小さい頃から重度難聴である祖父、30歳あたりから悪くなっていった実母、当時私は10歳くらいです。祖父とは同居していませんでしたので母との難聴のやりとりが今思えば、今の娘と私のようです。

 学校からの連絡、家への電話すべて娘である私がとっていました。なんと言ってるか伝言役です。

 父がいるときは父が代わりに応対するのですが、スーパーなどで質問されても母は判りませんでしたので私が代わりに答えたり、仲介したりしていました。役所関係もどこに行くのもそのころから一緒でした。母は外で働いたことのない人なので余計不安だったのでしょう。

 それが、今は人工内耳を入れ 60歳前に免許も取得し、一人で四国八十八か所をまわるなど一人でできなかった反動でしょうか。家族の心配も上の空であちこち飛び回っています。

 家族としては生き生きして楽しそうな母を見るのは心配ですが嬉しいことです。

 こんなそんなで私の家族は常に回りに聞こえない人がいればすぐ解説してあげる、みんなが話してて、知りたそうな目でみていたらすぐ説明する、これが普通になっていました。

 健聴家庭の主人の話では、どう接したらいいのか、どういう対応を望んでいるのか、難聴者でもどのくらい聞こえてる、聞こえてないがわからない。
 結局回りにそういう人がいなかったから私のようにはすぐできる人はいないよ。って言われるとそうだろうなぁ~と納得します。

 今自分の耳は高度難聴になり、外での対応に、わかってないようでもそのまま流せる人たちが普通なのか・・・
 知りたいという気持ちを押し殺す障害者もいるのか・・・。
といろいろな疑問にぶつかります。

社会では知る権利はあっても、聞こえない人に教える義務はないんですよね。

 様相論理でいう、
平等である権利がある = 平等である義務がある
という等式は成り立たないものである。
教えてもらう権利はある = 教えなければならない義務はない。

 こういうことで、要するに義務にすると強制であり、他人の自由である権利を奪うんですよね。
と自分は障害を持ちながら 障害者を支えてきた経歴も長かったので、両者の折り合う点を常に考えてきました。

 当たり前とは思わない!(障害者)、ありがとう配慮してくれての気持ちを常に持ち続け、聴覚ではできませが、他のことでは支えることができる立場ではまだまだありますので、他の障害をお持ちの方に、困っていれば自然に手をさしのべられる、そんな自然な支えあいができていければと思っています。

 そしてそういう社会になることの足がけに障害者の会を通じて、私たちが得る権利、そして私たちの行うべき活動でそういう自然な社会づくりに貢献できればとおもい参加しています。

 今は子育て時期でなかなか参加もままならないですが、その気持ちは常に心の底にあり、よりバリアフリーな徳島になっていってほしい願はやみません。

 これからも皆さんよりよい関係づくりに、楽しい難聴生活にしていきましょう。
よろしくお願いします。
                                          ふるふる

 

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第10回 優しさについて

去年の末、会員になった新米です。
実際まだ一度しか例会に参加していないので、まだお会いしていない方もいらっしゃいますが。
会の皆さんの印象は、とてもアットホームで温かい感じです。

 こんな風に書くと語弊があるかもしれませんが、皆さん普通に聞こえているように思えました。
それが私にとって少し驚きでもありました。

 私は事故の後遺症で、左耳がほとんど聞こえません。
なのでどうしても難聴障害を持つ方の聴こえは、自分の物差しで測ってしまうところがあります。
話を聞いていると、公共の施設(病院・役場)なども、障害を持つ人にとって不便な面が多々ありますね。

 私は病院が嫌いです(笑)
耳鼻科の医師で、本当にヤブに遭ったことがあって。信用が出来ないです。
でも優しい方もいました。そういう気持ちに触れると、とても嬉しかったし癒されました。

 私は、最近優しさについてよく考えることがあります。優しさって何でしょう?
自分が感じる、こうしたいという優しさと、相手が感じる優しさは違うのかもしれません。
だけど苦しい経験をすると、やっぱり人間的に一回り大きく強くなれる気がします。

 私は「言語聴覚士」という職業に長年憧れていました。
去年専門学校も受験しました。
社会人から学生になって、今の環境も全部捨てていこうと思っていました。
自身の片耳難聴で、ずっとそういった障害を持つ人の力になりたいと思っていた事が理由です。

 でも、ある人にこう言われました。
「何になるかじゃなく、何をするか」
もし言語聴覚士になれたとしても、ダイレクトに聴覚障害のリハが出来るとも限らない。
それなら、ずっと育ってきた徳島で、活動する方が自分にとって幸せなのかも、と。
結果仕事にしなくても、交流会や支援活動が大変有意義なものになっています。
ここで出会った先輩達、仲間を大切にしたいと思います。

人生って不思議で、色んな縁がありますよね。この一期一会を大切にしたいと思います。

 私にとっての優しさは、今のところ私が大好きな人達に笑って貰えることかな。
色んなストレスで、トゲトゲしくなってしまう事もあるけど。
人のためになっているようで、実は自分のためになっているのかなと思います。

                                               junko

 

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第9回 要約筆記のこと

要約筆記ってみなさんご存知でしょうか?OHP、パソコン、手書きノートテイクなど方法はいろいろあります。このホームページの要約筆記の頁をご覧になってください。
 要約筆記とは「話の内容」を「その場で」書いて「伝える」ことをいいます。文字数でいうと話しことばの2~3割程度しか書けません。しかし書ける文字数が2割でも話の内容をできるだけ伝えようとするのが要約筆記です。

 テレビから、あるデザイナーの話が流れていました。
「僕はねえ、子どもの頃、成績が悪かったんですよ。ほとんどが2か3でね。でもね、美術だけは点数良くってね。温情点というか・・・」
 この話を要約筆記にしたらどうなるでしょう。この話は50文字ありますが、書ける文字数はだいたい10~15文字くらいです。さあ、どんなふうに要約筆記しますか。

 たとえばAさんは「子どもの頃 美術だけは成績良かった。」Bさんは「小さい時は美術だけ点が良かった。」Cさんは「子ども時代は美術だけ好成績」など人によって書き方は違うけれど、話の本筋しか書くことができません。
 聞き手は「温情点・・・」と言ったところで、『フフフ』と笑っていました。けれどそのことを書く余裕がないのです。皆がどっと笑った時に、なんで笑うのか知りたいとよく言われます。でも瞬時に書けない。また、本筋だけを書いたにしても少し遅れる、タイムラグが生じます。ここのところが利用者の不満であろうかと思うし、要約筆記者にとっても辛いところです。「要約筆記の限界」でしょうか。

 聴覚障害者の聴力や聞こえ方は人により様々です。だから要約筆記の利用の仕方も様々だと思います。どんな書き方が その人にとって適切なのか考えて書く必要があるのかもしれません。しかし利用者の聴こえの状況などによって多少の文章の加・減はありながらも、基本は「話の本筋を書く」ことが要約筆記だと思います。

 私が要約筆記を始めて10年経ちますが、その間にも要約筆記の考え方は随分変ってきました。最近は「聴覚障害者の権利擁護のための要約筆記」と言われるようになりました。
 約40年前、要約筆記は難聴者が集まる会合から必要に迫られて、自然発生的に生まれたと聞いています。それがだんだん発展し、難聴者が社会の中で当たり前の生活や仕事をしていくための要約筆記として広がりつつあります。
 たとえば健聴者との会議の中では、難聴者が他の人と同じように発言ができる要約筆記をしなければなりません。これはとても難しいことです。(職場の研修等でのノートテイクがどれだけ難しいか・・・)でも、そんな要約筆記ができるようになりたいと思っています。

 要約筆記によって難聴者のハンディを少しでも解消できたらと、そんな気持ちで書いています。要約筆記や要約筆記者を育てるのは 利用される方々です。厳しい意見を言ったり、たまには褒めたりして、私たちを育ててください。よろしくお願いします。  
                                              hana

 

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第8回 聴覚障害者と医療

今朝、突然娘が誕生日の歌を歌いだしました。「そうだ今日は、私の誕生日。(ほんの少し幸せ)娘を産んでよかった!」思えば娘を身ごもった時、聞こえに不安を感じて耳鼻科診察を受けたのでした。
 「出産するともっと聴こえなくなるよ!」と耳鼻科部長は診断しました。私の質問(じゃ、出産はできないってこと?)をさえぎるように「はい、次の患者!」と。頭の中が真っ白になり、「これから私はどうなるのだろう?」将来の不安でいっぱいでした。

 婦人科の医師は「出産で聴力が悪くなるなんて聴いたことがないなぁ~」と。患者は勝手です。良い話だけに耳を貸します。私も「大丈夫心配ない!もし聞こえなくなっても、芽生えた命には変えられない!」そう決心して出産に臨みました。しかし、出産だけでなく3人の育児、仕事、家事に大変な体力を使い、聴力は段々と落ちてきました。

 現在私は、左が90dB右が60dbの難聴の看護師です。両耳に補聴器を装着して勤務をこなしています。もう、補聴器を使うようになってから十数年になります。看護師は、人の命を預かる仕事です。私のような聴こえにくい看護師が仕事を続けることがよいのかどうかずいぶん悩んだ時もありました。悩んだ挙句、私のようなものでもきっと何かお役に立てる看護ができると信じ、看護部長に相談し勤務場所に配慮をして頂き、与えられた場所で精一杯努力してきました。

 私が勤める場所は、皮膚科外来です。比較的静かな環境です。医師や周りのスタッフには聞こえが悪いこと補聴器を付けている事を伝えています。看護助手の方には大変お世話になっています。聴こえのことについての講演会などで情報を得た時には内容を読んでもらったりして、聞こえのことを話してきました。やがて聴こえの問題はお互いが歩み寄ることが大切だと、理解してくれるようになりました。

 医師の中にはいまだに「聞こえない人には大声で」と言った受け止め方があります。また聴こえないことを伝えているにもかかわらず「さっき言ったじゃない!」と叱責する無理解な医師もいます。そんな時はしばらく悩みますが、伝えなければ理解が進まないと思い、何とか自分の思いを伝えてきました。

 聞こえの悪い患者様が来ると筆談器を持ち出し、片言の手話や筆記で通訳をします。診療内容が上手く伝わり、安心して帰られる患者様を見ると嬉しくなります。

 難聴者協会でお世話になった方が、「血尿が出て検査をしても診断できずになんだか分からない。主治医は6ヵ月後に再検査と言うけれどこのまま放置しておいても良いか不安で仕方がない。」とメールを頂きました。詳しい内容を伺っていると、泌尿器科で診察・介助をしていた時の知識などでおかしいと感じることがありました。すぐ信頼できる医師に紹介をすると、悪いものだと診断されたそうです。

 しばらく連絡がなかったので心配をしていました。ご主人から電話があったと聞かされたときに訃報の連絡かと身が固まりましたが、聴こえないご本人が電話に出て、「あなたは命の恩人よ!」と言ってくださいました。こんな私でも、お役に立てたことが本当に嬉しく反対に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 昨年、私は大学病院で手術を受けました。今度は自分自身が聴こえにくい患者の体験をしました。入院時から耳マークを常備して説明を受けるたびに耳マークを提示して来ました。看護師をしていても知らないことはたくさんあります。担当の看護師は、聴こえないことに対して思いやりを持って対応してくれました。聴こえなかったことは面倒がらずに何度でも繰り返して答えてくれました。しかし中にはマスクをかけたままで話をする看護師もいます。決して悪気があるわけではなく、感染予防上仕方のないことではずしてほしいとは言えません。

 再度、看護師長に聴こえの問題を話し合ってほしいとお願いしました。勤務病院で聴こえない患者様の対応の仕方を書いた資料などを渡してカンファレンス(医療職間での話し合いのこと)を持ってもらうことになりました。そうすることで、私は、一度言っても伝わらないかも知れない患者と言う意識付けができました。

 全身麻酔にしても不慣れで不安の塊でした。病棟師長さんから、手術直前までは補聴器を装着することを提案してもらい、麻酔科医に伝えて頂き安心して手術に臨みました。麻酔科医の術前診察時に聴こえないことを伝えると、大声で話され同室者から同情されました。できれば、個室(予診室)でしてほしいものです。プライバシーの保護がありませんでした。こうあってほしいと、伝えられなかったことが悔やまれます。

 麻酔からさめるまでは、補聴器を付けないことも約束してもらいました。ボリュームの合っていない補聴器を眠っているまま付けていることは知らない間に耳を傷めているかも知れないと思ったからでした。

 全身麻酔から覚めると、無事に手術は終わっていました。看護師は、聴こえに配慮して話されるので、補聴器もしばらくは使用しないままですんだ事はとてもよかったです。全身を耳にして聴くことは本当に疲れるからです。同室者とのコミュニケーションにも苦労しましたが、伝えることで何とか分かっていただくことができました。

 どこの病院に行っても、聞こえのことを理解してもらうのは一苦労もふた苦労もあると思います。医療従事者の個人差によっても対応が違います。身内に聴こえない方がいると接し方も違ってきますが、ほとんどそうではありません。耳マークを提示して聴こえには配慮が必要なことを自ら伝えることは自分を守るためにも必要なことです。くどいぐらい必要だと思います。

 医療過誤・医療ミスが多いことは、高度医療化が進み現場が忙しさに紛れているからです。医療者だけでなく患者自身も自らの安全を守る必要に駆られています。安全、安心な医療を受けるためにぜひ耳マークなど視認的に分かるものを使ってほしいと思います。医療従事者は超能力者ではありません。必要な配慮を申し出ていただくことが必要です。歩み寄って、お互いが理解し合う事ができる医療現場を作っていきたいと思っています。それが今の私に与えられた使命と感じています。

                                                orange.ns

 

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第7回 身体障害者との共生について

ゴルフやボーリングというスポーツにはハンディキャップというシステムがあります。これは上手な人も下手な人も一緒にゲームを楽しむための方法です。
 その他にも囲碁・将棋ではハンディキャップという表現はしませんが、2子とか3子、あるいは角落ち、香落ち、チェスでは駒落ちという制度ではなく、考慮時間のハンディキャップを与えるなど色々な方法があります。
 ハンディキャップは、年齢差、体力差、性別、実力の違うもの同士が対戦する場合、点数が開き過ぎたり、勝敗が確定していては同じように 楽しむことができないため考え出されたものです。

 ハンディキャップ無しでゲームを競い合った場合、10回しても100回しても上手な人が勝ち、下手な人が負けてしまいます。こんなゲームは楽しくありません。
 誰が楽しくないのでしょうか?いつも負けている者でしょうか、いいえそれだけではありません、いつも勝っている人も同じように楽しくないはずです。

 このハンディキャップを付けることによって、上手な人も気を抜けない面白い内容のゲームを対等に競い合うことが出来、楽しみや感動を共有することが出来るのです。
 ハンディキャップは弱い人や下手な人に与えるものではなく、強い人や上手な人の為にも与えるものだったのです。

 このスポーツやゲームにおけるハンディキャップは、そのまま身体にハンディキャップを持つ身体障害者の皆さんにも当てはまると思います。
 現在は、地域や職場に置いて、身体障害者の皆さんがたくさん活躍をしています。障害者雇用促進法や障害者自立支援法の整備により、今後ますます活躍の場は増えて行き、私達は更に深い係わりを持って暮らしていく事になります。
 四肢に障害、視覚に障害、聴覚に障害がある人等、身体障害の状況はさまざまですが、その人達とのコミュニケーション手段の確立は身体障害者の受益だけではなく、健常者も大きな受益者のひとりなのです。

 身体障害者との共生を考えるとき、一番最初に理解しなければならないことがあります。それは、障害は個性であり、人間性や能力の欠損ではないということです。 車椅子を利用している障害者は、足に代わる移動手段が確立されれば、なんら損失はありません。聴覚に障害がある方は、文字による情報保障が充実すれば、なんら損失がなく、視覚に障害がある方は、音や触感で情報保障が行われれば問題はありません。

毎年、交通事故の発生件数は90万件前後です。もしも会社の第一線でバリバリ仕事をされている方が、交通事故で車椅子の生活を余儀なくされたら、もうその方の総ての能力がなくなってしまうのでしょうか?ある朝目覚めた敏腕サラリーマンが突発性難聴で聴力を失うことになったら、そのサラリーマンの能力は聞こえと共に全て消え去ってしまうのでしょうか?
 衰えたり、十分に機能をしなくなった部分だけを周りでカバーできたら、遜色がないどころか、非常に大きな戦力となり仕事も生活もこなすことができます。上から下、できる者からできない者への一方通行ではなく、不自由な部分のみをカバーして、後は対等な関係で互いを尊重し合える人間関係作りが真の共生ではないのでしょうか。          
                                                    Fe

 

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第6回 「エッ!?」の真意

施設を評価するサービス評価事業の評価員との問答の際

「スイマセン、難聴なので、声をやや大きく、はっきりとゆっくり喋って頂けませんか?大概はそれで聞き取ることが出来るのですが、どうしても意思疎通が図れないという場合は書いて頂いたら・・・」
それを伝えることで、評価員の人もこころよく納得してくれ、それなりの配慮をしてくれた。でも段々と話が進むうちにまた聞こえにくい場面があったので、その時はまた「エッ?!」と繰り返すことで、我々が聞き取りにくい時に使う「エッ?」を理解して、言い方を変えてくれたり、やや大きく喋ってくれたりした。

「エッ?!」というのは難聴者が聞き取りにくい場合や聞こえなかった場合に使う時と、聞こえたことに対して「何言ってんの?」と確認の意味やビックリした時に使う意味合いのものがあると思います。

例えば、男性が女性に告白する場面にて・・・

男性A「君のことが前から好きだったんだ!」

女性B‐①「エッ!」
「ホントに・・・?私も実はあなたのことが・・・」

女性B‐②「エッ?」
心の声:「〇ミノコ〇ガ〇〇カラ〇キダ〇〇ンダ?
なんだ?なんだ?なんて言ったんやろ・・・?」

 この時の女性B‐①の発した「エッ」っていうのはまさに、一般的に使うビックリした意味だろうと思います。実は彼女も密かに恋心を抱いていたので、突然の告白にさぞビックリしたことでしょう・・・

 一方で女性B‐②の場合は、聞き取りにくかった際の「エッ?なんて言ったのですか?」の意味であろうかと思います。聴き取れた断片的な言葉を拾って、必死に想像をしているのですが、推測することすら出来ていません。「聴こえたフリ」して曖昧に返事しているうちに、どんどん自分の意に反して、事がすすみ、やがて結婚指輪を渡される事態にまで、発展しているのかも知れません・・・(笑)

 難聴者の「エッ?」の真意を分かってもらう為には、大事な場面や聞き取りにくい場面に遭遇した時は、早い段階で配慮を申し出ることが重要だと思います。勇気を出して、その事について正直に話をし「エッ」の真意を理解してもらう事が出来たなら、あとは相手にもよりますが、大抵の人は、大なり小なりある程度の配慮はしてくれるような気がします。

 でなければ、健聴者がよく使う「エッ!」と同じような受け取り方をされて、結局2回目も同じような喋り方をされることになり、それは「はっきり」「ゆっくり」「やや大きく」とは程遠いものになるでしょう。
結果として、お互いの意思疎通やコミュニケーションにも大きく影響を与えるのではないでしょうか・・・

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第5回 夢について

難聴であることで、理想とはかけ離れ、憧れからは縁遠い生活を送っていた自分がいた。
希望を捨て、夢を語るなんてことのない・出来ない自分になっていた。

やりたい仕事って何?自分に出来る仕事って何?

昔、レストランでアルバイトしていた時に、オーダーと違うものを作ったり、指示が聞こえなかったり、といった多くの聞き間違いを犯した事があって、それがトラウマになってしまいました。

「こんなんじゃ、仕事なんて出来ないな・・・」
「仕事するにしても自分で選んであれがしたいこれがしたいなんてそんな立場にはないな・・・」
心の中で、そう思っていました。
正直、選択の余地はあまりないなって感じていました。

恋愛なんて!難聴を認めることすら出来ない自分が、好きな女性に告白なんて出来るの?

女性と付き合うのも、非常に難しいのではないかなと・・・自分の聞き取りにくい高音は人間の声で言うと、若い女性の声なので学生時代も、女性からは避けてしまうようになっていました。
真面目でウブみたいな感じでとられていたようですが、自分もそうとられるのに慣れていましたが。
{本当は好きなんだけど(笑)}
「これは恋愛を語るどころじゃないな・・・」
「歳の離れた年配の女性だったら、比較的聞き取りやすいから、それだったらいいのかな?」
なんて自分なりに恋愛観を固定していたような気がします。

夢を語る?難聴の事がネックになって、何事も億劫になる自分に、なんで夢なんて語れるの?

夢を持つなんて言葉自体、自分には、考えたこともありませんでした。だって何かしたい仕事や、したいと思う事があってもいつも難聴の事が頭に浮かび、そのことを、いつも心配し不安になる自分がそこには居たから。
それを実現する手段すら浮かばなかったから、絶望の中から希望を見いだす事は出来なかったのです。
 でも同じ難聴者と出会い、交流を深めるうちに、そのためのいろいろな手段やいろいろな方法が見えて来ました。
難聴者だって、夢を持てるんだと気付き始めました。
結局のところ、夢や、やりたい事を見つける事ってこういうことかな・・・

『夢は、叶っても叶わなくても持ち続けることが大切である。夢や憧れや希望に理想があってこそ毎日に生き甲斐を感じられると思うのである。』

多分どっかの偉人の言葉・・・(笑)

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