第14回 難聴者自身が考えること

僕の場合は、普段補聴器をつけて生活している中で、条件や環境が整えば、健聴者とほぼ変わりなく、生活が出来ているようにも思います。

しかしひとたび、補聴器を外せば、会話もスムーズにいかなくなり、自分は難聴者なのだということを再認識します。

これが、視力が悪い人の場合だと、眼鏡やコンタクトレンズを装着することで、日常生活に全くといっていい程、支障がなく、普通の生活をすることが出来ると思いますが、難聴者や中途失聴者の場合、そうはいきません。

他人からは分かりにくい障害であることや、自ら打ち明けたり、説明したりすることが難しく、その援助方法も、さらに、難しいことなどがあるからです。自らの聴こえについて、配慮が必要なことを人に伝えることは、とても勇気がいり、どういうことを配慮してほしいのかを、自分自身でも、理解しがたい部分もあり、簡単にはいきません。

とても、勇気がいることですが、援助して欲しい旨を伝えなければ、周りには理解されないままです。

その不利や不安を少しでも解消する勇気を出させるために、「耳マーク」というのがあります。

この耳マークを持参していることは、周りに配慮をして欲しい旨を相手に分かってもらい、気遣ってもらうことが出来たり、公共施設や各関係機関が掲示をすることで、難聴者や聴覚障害者がスムーズにコミュニケーションを図れるように、配慮されているものだと、そう理解することが出来ます。

例えば、自動車を運転していて、車イスの障害者マーク、初心者マーク、高齢者マーク、これらのマークを街で、見かけたら、少なくとも、減速をしたり、車間距離を取ったりなどの、人それぞれの、「配慮」をすることでしょう。

同様に、この、「耳マーク」が普及することは、掲示や、持参している難聴者や聴覚障害者については、「筆記を伴う説明をする」、「ゆっくりと、やや大きな声で喋る」、「口を大きく開ける」など、聴こえに対する配慮をして欲しい旨を、何も言わなくても、自然に分かってもらうことができるのです。

ただ、近い将来、この耳マークの普及により、周りの理解が得られる日が訪れたとしても、お互いを思いやる気持ちは、常に忘れずにいたいと思います。お互いを分かり合える努力をし、難聴者自身が、他の難聴者に対して、配慮が出来るような気持ちでいたいです。

会議などで、良く聞き取れていないように見受けられる、同じ難聴者がいれば、そっと、メモを手渡したり、コミュニケーションが充分に取れていないような場合は、補足をしてあげたりなどです。

「思いやりの気持ち」を忘れずに、同じ難聴者との交流や活動をしていきたいと思っています。
聞こえないことの辛さや寂しさは、難聴者である僕たち自身が、一番よく知っていることだから・・・

n.t 

 

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