第11回 難聴への想い

小さい頃から重度難聴である祖父、30歳あたりから悪くなっていった実母、当時私は10歳くらいです。祖父とは同居していませんでしたので母との難聴のやりとりが今思えば、今の娘と私のようです。

 学校からの連絡、家への電話すべて娘である私がとっていました。なんと言ってるか伝言役です。

 父がいるときは父が代わりに応対するのですが、スーパーなどで質問されても母は判りませんでしたので私が代わりに答えたり、仲介したりしていました。役所関係もどこに行くのもそのころから一緒でした。母は外で働いたことのない人なので余計不安だったのでしょう。

 それが、今は人工内耳を入れ 60歳前に免許も取得し、一人で四国八十八か所をまわるなど一人でできなかった反動でしょうか。家族の心配も上の空であちこち飛び回っています。

 家族としては生き生きして楽しそうな母を見るのは心配ですが嬉しいことです。

 こんなそんなで私の家族は常に回りに聞こえない人がいればすぐ解説してあげる、みんなが話してて、知りたそうな目でみていたらすぐ説明する、これが普通になっていました。

 健聴家庭の主人の話では、どう接したらいいのか、どういう対応を望んでいるのか、難聴者でもどのくらい聞こえてる、聞こえてないがわからない。
 結局回りにそういう人がいなかったから私のようにはすぐできる人はいないよ。って言われるとそうだろうなぁ~と納得します。

 今自分の耳は高度難聴になり、外での対応に、わかってないようでもそのまま流せる人たちが普通なのか・・・
 知りたいという気持ちを押し殺す障害者もいるのか・・・。
といろいろな疑問にぶつかります。

社会では知る権利はあっても、聞こえない人に教える義務はないんですよね。

 様相論理でいう、
平等である権利がある = 平等である義務がある
という等式は成り立たないものである。
教えてもらう権利はある = 教えなければならない義務はない。

 こういうことで、要するに義務にすると強制であり、他人の自由である権利を奪うんですよね。
と自分は障害を持ちながら 障害者を支えてきた経歴も長かったので、両者の折り合う点を常に考えてきました。

 当たり前とは思わない!(障害者)、ありがとう配慮してくれての気持ちを常に持ち続け、聴覚ではできませが、他のことでは支えることができる立場ではまだまだありますので、他の障害をお持ちの方に、困っていれば自然に手をさしのべられる、そんな自然な支えあいができていければと思っています。

 そしてそういう社会になることの足がけに障害者の会を通じて、私たちが得る権利、そして私たちの行うべき活動でそういう自然な社会づくりに貢献できればとおもい参加しています。

 今は子育て時期でなかなか参加もままならないですが、その気持ちは常に心の底にあり、よりバリアフリーな徳島になっていってほしい願はやみません。

 これからも皆さんよりよい関係づくりに、楽しい難聴生活にしていきましょう。
よろしくお願いします。
                                          ふるふる

 

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